2008-05-22

韓国市場

韓国へ行ってきた。韓国と言えば、まずは何と言っても、市場である。


韓国釜山市国際市場

韓国の都市には必ず、市内に何箇所かの市場がある。韓国語で「シジャン」と言い、まぁこれは「市場」という漢字の韓国語読みなわけだけれども、東京で言えばアメ横とか、秋葉原とか、そういうあたりに相当するような、小さな店が狭い場所に軒を連ねてびっしりと固まっている場所で、魚や野菜や果物、乾物、キムチなどの漬物、様々なおかずなどの食料品から、ジーパン、Tシャツ、作業着、婦人服、紳士服などの衣料品、道具類、日用雑貨品、電気製品、などなど、あらゆる種類の物が売られている。この店は魚、この店はジーパン、というようにそれぞれが専門店で、だいたいは零細企業、奥さんが店番をして、ご主人は倉庫管理や仕入れを担当する、というようになっているらしい。

その店々が、「これでもか」とばかりに品物を積み上げている。


国際市場の魚屋


ナムルなどのおかず屋


カバン屋

品数も豊富ではあるのだが、それだけではない、店が狭くて倉庫がないということもあるのだろうが、同じ物でも、とにかくある物すべてを積み上げるのである。「これを売り切るぞ」という気合が自ずとひしひしと、伝わってくる。それが市場中、延々と続くのだから、物凄い迫力である。

韓国は、日本に比べると自己主張が強烈だと思う。道端で、ほとんど怒鳴り合いをしているとしか思えない会話の光景を、しばしば見かける。食べ物にしても、あの唐辛子の使用量や、おかずに玉ねぎや青唐辛子、にんにくを、生のまま味噌をつけてバクバク食べる、そういうものが生み出すパワーで人に向かっていくのだろうなと思うと、日本人である自分としては、ちょっと敵わないなと思う。

また役所があまり規制をしないというところもあるのかなと思う。これは以前台湾に行った時の話だが、台北の三越からシャトルバスに乗ろうとして、けっこうな行列に並んだ。シャトルバスは小さくて、その行列は到底全員乗り切れないだろうなと思うのだが、そこにいた係員は何もしない。日本なら事前に人数を数えて、ロープで仕切りでもして、ここまでは次のバスで、そのあとは次のバス、などと整理するところだろうと思うのだが、到着したバスに人を詰め込めるだけ詰め込めて、もう物理的に一杯でそれ以上は入らないとなった時点で、ドアが閉まって出発して行った。

一人一人に自己主張があり、したいことがあるのだから、それをまずはやってもらい、実際に限界に達した時点で次を考える、というように、社会全体がなっているのかなと思う。

韓国の市場や、繁華街で、だいたい通りや筋ごとに、同じ種類の店が並んでいることが多い。豚肉料理なら豚肉料理ばかり並んでいる通りがあって、「豚足ストリート」と呼ばれていたり、もつ焼きならもつ焼き、食料品なら食料品、またジーパンのならジーパン、というように、同じものを売る店が固まっている。これも計画的にそうしているのではなくて、ある店が豚肉料理なら豚肉料理で成功すると、そこにみんながやってきて同じ物を売る店を始めるのだという。そのようにしながら自然に、地域ごとに特色のある場所が生まれ育っていった。

日本では最近、大手業者が大規模開発をして、その業者がテナントを選んで入店させ、ショッピングモールを作るということが多いと思う。しかしそれでは、見た目にはきれいなものになっても、やはり不自然なのだと思う。一人一人のやりたい気持ちがベースにあり、それが自然に寄り集まっていく、それを誰かがきちんと応援していく、そういう時に、あの韓国の市場や街のエネルギーが生み出されていくのだと思う。

ところで韓国の街を歩いていると、仕事をしている男性の姿をあまり見かけない。店員に関して言えば、市場はもちろん、道端の露店でも、きちんとしたビルに入っているような普通の店でも、ほとんどが女性。バイクやトラックで品物を運んでいるのは男性だが、数としては圧倒的に少ない。他の人はどこで何をしているのだろうと、不思議になる。まぁ遊んでいるわけではないだろうが、店の店員といえば男性が主である日本とは、かなり違うのだなと思う。

韓国の社会全体を考えてみると、一方で市場に代表されるような、零細な自営業者の大群がある。市場はまだ固定の店舗を持っているわけだが、道端に出店される屋台や露店というのも、これまたすごい数で、繁華街の裏通りなどは、道の真ん中に延々と屋台が続く場所があったりする。


釜山市南浦洞の屋台

こういう屋台では、昼ならお好み焼きであったり、おでんであったり、海苔巻きであったり、夜ならお酒を出して、天ぷらだったり焼き鳥だったりを摘ませるようになっている。さらには交差点の脇など道端には、小さな台車に載せた石鹸だとか、靴ひもだとかいうようなものを、かなり年老いた女性が売っていたりする。

もう一方で、現代とか、三星とか、財閥と呼ばれるような巨大企業の群がある。そちらに勤める男性の奥さんは、あまり働かず主婦をするのだと思うが、どうも韓国というのはそういう両極に分かれていて、あまり中間がないのかもしれないなと思ったりもした。