2008-05-13

イギリス

イギリスというのは、面白い国だなと思う。

レッド・ツェッペリンというイギリスのロックバンドがあって、これがぼくは死ぬほど好きなのだが、(あ、うそ、死にはしませんが)、元々アメリカで、アフリカから奴隷として連れて来られた黒人たちの生み出した音楽であるブルースというものがあって、そこからジャズが生まれたり、またロックンロールロカビリーというものが生まれたりしていく、という状況の中、もう一度ブルースを再評価し、それを白人である自分たちなりに咀嚼してみようという動きが、イギリス人であるエリック・クラプトンジェフ・ベックや、またアメリカからイギリスに渡ったジミ・ヘンドリックスなどという人たちを中心として始まる。でもその人たちがあくまで、ブルースという土俵の中で、「白人のブルース」というものを模索していたのに対して、レッド・ツェッペリンは、もちろんそういう動きの中から生まれ、ブルースを下敷きにしてはいたけれども、ブルースとははっきり違う、新しい音楽である、ハードロックというものを生み出したのだった。

ツェッペリンの影響を受けて、その後膨大な数のハードロックのバンドと楽曲が生み出されていき、さらにそこからヘビーメタルとか、プログレシブロックとか、ツェッペリンの持っていた色々な要素を推し進める形で、新たなジャンルが生み出されても行った。ツェッペリンはそういう意味で、新しい文化の誕生の原点になっているのだ。

ツェッペリンのリーダーは、ギタリストであるジミー・ペイジという人だが、この人がツェッペリンの前に属していたバンドでヤードバーズというのがあって、そのアルバムを今聞くと、その時代にありがちな、ビートルズチックなぺなぺなしたサウンドに、その後のツェッペリンを髣髴とさせる、ギンギンと唸るジミー・ペイジのギターが暴れまくっているという、そういう印象だ。その時すでに、ジミーペイジの頭の中には、新しいバンドのイメージがふつふつと浮かんでいたのだろうなと思う。

そういう文化が新しく生み出される原点のようなもの、それがイギリスで生まれているという例が、いくつもあると思うのだ。

考えてみればビートルズだってそうで、ビートルズはツェッペリンの少し前にデビューしたバンドだが、やはりアメリカで当時流行っていたロックンロールやロカビリーを、自分たちなりに解釈した結果、リバプールサウンドという独自の音楽を生み出し、さらに彼らが歩んでいった道筋は、そのまま現在のポップミュージックの基盤となっている。そう考えるとイギリスはロックという分野を確立するに当たって、元々の母体はアメリカにあったにもかかわらず、決定的な大ホームランを二発、放っていることになる。

似たような例がちょっと昔にあったなと思ったのだが、それは科学という分野が確立していくプロセスだ。まぁこれは詳しいことを知らないので、適当なことを言ってしまうことになるとは思うが、元々中世のヨーロッパにおいては、真理の探究ということについてはキリスト教がその中心を担っており、だから多分、神聖ローマ帝国とか、その辺りが活動の中心だったのだろう。一発目の大ホームランを放ったのはニュートンだったわけだが、それに先立って研究を積み重ねた人たちとして知られている、ガリレオはイタリア、ティコ・ブラーエはデンマーク、ケプラーはドイツだから、だいたいその辺りだ。そうやってそちらで物事が熟成されていたものを、当時はまだ周辺国であったと言ってもいいのだろう、イギリスの、しかも20歳そこそこの若造が、決定的な手柄をかっさらっていったのだ。

ニュートンは、物体の運動ということについて、すべてをそこから導き出すことができる、法則というものを確立したわけだが、次の大ホームランはそれから200年後、生物および人間について、やはりイギリス人である、チャールズ・ダーウィンによって、進化論というものが確立される。ニュートンとダーウィンによって、物質から生物、人間までの一通りについて、真理を探究する基盤が整ったということで、科学という分野が確立し、科学者という人たちが収入を得ることができるようになり、それまでキリスト教が担っていた真理の探究の役割のかなりの部分を、科学が担うようになった。そういう大きな、世界の中心軸の変動ということについて、たぶんかなり重要な役割を、イギリスが担っていたのではないかと思ったりする。

イギリスは大航海時代、世界中を侵略し、七つの海を征服したわけだが、ただ武力だけを行使していたのでは、それはうまく行かなかっただろう。やはりきちんとした文化、基本的な考え方、そういう背景がなければならないと思うのだが、そういう意味でイギリスは巧いと言うか、何と言うか、大したものだと思うのである。第二次世界大戦後は、世界の主導権はイギリスからアメリカに移ったと言われているそうだが、いやいやどうして、イギリスもまだまだ体力を温存しているのかもしれない。