2008-04-23

サザンオールスターズ

雑誌は、週刊文春を読んでいる。先週号のコラム「近田春夫の考えるヒット」に、Jポップの歌詞のことが書いてあった。ちょっと引用したい。

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「昨今大半の場合、Jポップは先にメロディが出来ていてそこに歌詞を載せる。どうしてそうなったかというと、詞はなくともメロディだけあれば、とりあえずレコーディングが出来てしまうからである。そうして“オケ”さえ整えば発売日がフィックスできる。あくまで商業的な効率のためにそうなっているのだ。

だが、それを本当に歌と呼べるのかどうか。本来歌というものは、まずコトバがあってそれにふしのついたものだろう。音楽よりさきにコトバなのだ。詩と書いて“うた”と読むのが何よりの証拠である。音楽にコトバをハメるというのはうたを作るのとは別のことなのではないか。

一方でそうした時メロディには大抵ハナモゲラ、すなわち“英語のようなもの”で仮うたが入っていたりする。全く無意味な、いかも日本語的ではない響きで歌詞がイメージされていることもすごく多いのである。

であるから誤解を恐れずにいえば“うた”でもない“日本語”でもない、それ等と似て非なる何かを作り出す作業が、現実のJポップにおける歌詞ということになるのだ。

読むと分かると思うが相当の割合で、Jポップ歌詞は、実際日本語としては役に立っていないのである。

すべては音楽をもっともらしくする為に、見栄えのいい飾りを尺に合わせてハメ込むという、処理のような仕事なのだ(オーバーにいえばネ)。」
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以上はまぁ、普通の人の考えと言えるかも知れない。しかしこれを読んでぼくは、「あ、近田春夫はサザンオールスターズの洗礼を受けていないんだな」と思った。

日本の歌の系譜というもの、まずたぶん初めは詩吟のような、百人一首を読むときのような、そういうものがあったろう。次にどこかの段階で、演歌が登場する。詳しいことは全く知らないので、実際にどうだったのかは分からないが、演歌は日本古来のものではなく、おそらく朝鮮半島から輸入されてきたものなのではないだろうか。韓国の歌が実際、演歌そっくりで、日本の演歌をもっとアクを強くしたような感じなのだ。美空ひばりを初めとする有名な演歌歌手の多くが、韓国出身であるというのも知られた話である。

さらに次にアメリカやヨーロッパの歌、「洋楽」が流入し、それ自体が日本で親しまれていくと同時に、その影響を受けた日本語の歌が作られていく。これが今の日本の歌の主流であり、Jポップもその流れにある。

まずはアメリカやイギリスのポップスに影響を受けた歌謡曲と呼ばれるものがそうだろう。次にフォーク。そしてビートルズなどに影響を受けた、キャロルなどのロックグループ。このように洋楽を日本に取り込んでいくに当たって、一つの問いが生まれた。それは「洋楽風のメロディーと日本語の歌詞とを、どう調和させることができるのか」ということである。

ポップスにしてもフォークにしても、ロックにしても、洋楽のメロディーは、それが歌われる言語である「英語」の特性と、密接に関係しているだろう。そのメロディーにそのまま日本語の歌詞を載せると、なんとなく不自然なものになる。それを自然に、日本の歌として聞かせようと、無数の工夫がされてきたと思う。そういう努力のなかで、洋楽そのものとはちょっと違う、独特のメロディーも編み出されてきたのではないかと思う。

話は外れるがその一つの代表例が、吉田拓郎だと思う。拓郎は日本語の節回しをわざと壊すような、そういうメロディーをつけると思う。普通に日本語で話す場合にはアクセントがないところに、わざとアクセントをつけてみたり、普通話す場合の区切り目とはわざと違う場所に区切り目をつけたり。それが逆に新鮮にかっこよく感じられるのだ。こういうことも、洋楽のメロディーと日本語の歌詞の調和の一つのあり方だろう。その流れを引き継いでいるのが、まず佐野元春、そしてミスターチルドレンの桜井和寿だと思う。

さてサザンオールスターズだが、デビューしたのはぼくが高校1年の頃。デビュー曲の「勝手にシンドバッド」およびファーストアルバム「熱い胸さわぎ」を聞いて、衝撃を受けたのだった。「これがまさにぼくの聞きたかった歌だ」と確信した。

何がすごいと思ったかと言うと、「歌詞に全く意味がない」ところだった。

サザンの歌は、特に初期のものは、歌詞にほとんど脈絡がない。初期の頃のアルバムに収録されている曲の中には、歌詞が最後まで決まらず、歌詞カードに「●※◎△・・・」のような記号が印刷されているものがいくつもあった。サザンは、少なくとも初期の頃は、歌詞にきちんと脈絡があり、意味が通る日本語である必要を全く感じていない。歌詞とはメロディーを引き立たせるためにあるのであり、ことばの断片が使われることによって醸し出される雰囲気や、ことばの音、そのものの面白さこそが重要なのである。

ぼくの世代はおそらく、小学校高学年でカーペンターズを知り、中学生でビートルズのリバイバルブームの中でその洗礼を受け、キッスやエアロスミスといったバンドに触れ、まぁ人それぞれだとは思うが、基本的に洋楽で育った世代だ。洋楽の歌詞は英語だから、聞いても意味は分からない。歌詞カードを見てもぴんとは来ない。それでもそういう音楽から強いメッセージを感じ、のめりこんだのである。そういう感覚で言うと、その頃の日本の歌、それは歌謡曲もフォークもロックもそうだったが、それらのちょっと暗い、湿っぽい歌詞は、どちらかと言えば余分で、それほど共感できるものではなかったのである。

サザンはそういう時代の感性に、ぴったりと沿うものだったと思う。洋楽を聞いていた日本人が、その洋楽の英語の歌詞を聞くのと同じように、日本語の歌詞を取り扱った。そしてそのように日本語の歌詞を捕らえることで、日本語の制約から全く自由になった。

先に述べた通りそれまでは、自分が慣れ親しんだ洋楽のメロディーと、それとは異質な日本語とを、どのように調和させるか、が問いであった。しかしそのように歌詞を捕らえると、この問い自体が存在しないことになった。自分が慣れ親しんだ洋楽風のメロディーを、そのままストレートに表現すれば良いことになったのだ。そのメロディーを飾り付けるために、日本語風の歌詞を添えるのである。

近田春夫は、そのことが「あくまで商業的な効率のため」にそうなっていると言っている。しかしもともとの出発点は、時代の感性によって生み出された、偉大な創造行為であったと思うのである。

もちろん今たくさんの曲が作られる際、そのような商業的な効率に傾きすぎる局面も多々あるのだろう。しかし少なくともその曲がヒットしたということがあるとすれば、歌詞に大した意味がこめられていなくても、受け取る側は全体としてきちんとしたメッセージを受け取っているのである。

さらには近田氏は、そのようなものは「歌ではない」と言っている。歌であるかぎり、「音楽より先にコトバがないといけない」からだと言う。本当にそうなのだろうか。

そうではないことは明らかなのだが、もう面倒くさくなってきたので、このことを考えるのはまた次の機会にしたいと思う。