2008-04-04

『随園食単』 袁 枚著、青木正児訳注

この本は、どこぞの本で「中国料理を知るならこの本」のようなことが書いてあったのを見て、買い求めたものである。

著者の袁枚はもともと清の時代の中国の役人だったが、40歳で引退し、売文で身を立てた人。売れっ子でかなりの収入があったようだが、それを「随園」という自分の邸宅を整備・経営することに投じ、そこでは様々な方面から人が集まり、詩歌の会などを催しながら飲食を楽しんだと言う。美食家としても知られ、各所でうまいものがあれば、その食単(レシピ)を蒐集し、それをまとめたものが、この『随園食単』というわけだ。

訳注の青木正児は高名な中国文学者とのことだが、読み進めると随所に、訳者が著者を低く見る「上から目線」を感じる表現がある。訳注で著者の間違いを指摘したり、それは良いとしても著者の表現そのものを、他書を引用しながら馬鹿にしてみたり、あとがきには「この随園食単はもともと虫が好かず、中国料理に関しては他にもっと良い本もあるのだが、翻訳を依頼され仕方なく引き受けた」というようなことまで書いてある。何もそこまで言わなくても、と腹が立つほどであったが、それが一つにはこの本の性質を表しているのだと思う。

著者の袁枚が役所を辞めたのは、転勤した先の上司とそりが合わなかったからであるという。そこでもともとあった文才を利用して、大衆迎合的な詩歌や文を売りファンを増やし、そこからの収入によって随園で豪奢な生活をした。まずその姿勢そのものが、大学でまじめに研究する中国文学者の性には合わなかったのだろう。その訳者のおかげで日本に紹介された随園食単が、後に中国料理について書かれた代表的な一作であると評価されているのを知ったら、さぞ複雑な思いがしたに違いない。

日本人には国民性として、判官贔屓なところがあるだろう。社会の仕組みに従順な一方で、才能がありながら性格の問題で社会に適応できず、外れていった人間に対して、過度に同情し、応援する。日本料理について魯山人がどれだけのことをしたのか詳しくないが、おそらく本当に料理に職業として打ち込んでいる人から見るより以上の評価を、魯山人は一般から受けているのではないか。そのことは魯山人が終生孤高の人であり、晩年は孤独とも言える生活を送ったことと無関係ではないだろう。袁枚のこの本が日本で受けている評価についても、同じようなことなのではないかと想像するのである。

中国料理と言うと、何となく「炒め物」が頭に浮かぶ。しかしこの本のレシピを見ると、炒め物はごく一部である。それより煮物、蒸し物、和え物、汁物、などなどが多く、日本料理とそれほど変わらない印象である。魯山人はその著書で中国料理に対して、「素材を吟味せずにいくら手を加えても、うまいものはできない」という趣旨の批判をしている。しかしどうしてどうして、随園食単の冒頭の第一節は「天性を知ること」と題し、「物の品質が不良ならば、料理の名人がこれを割烹しても無意味である」と、魯山人と全く同じことを書いている。考えてみれば中国は長年、日本の先生であったのだから、日本料理の基本的な精神が中国伝来のものであるとしても不思議ではないのである。

中国料理と言うと炒め物、というイメージがあるのは逆に言うと、日本料理においては伝統的には炒め物がほとんどないからであろう。日本にないものだから、それが中国料理の特徴として際立つところがある。それではなぜ日本料理には炒め物がないのだろう。中国から日本に料理の文化が伝来してくるに当たり、「炒める」という部分が抜け落ちてしまったということである。炒めるということが、日本の文化と相容れないところがあったのか?

逆に日本にあって中国にはないものが、魚の生食(寿司・刺身)、溶いた小麦粉を衣にした揚げ物(天ぷら)、そして醤油たれを漬けながら焼く焼き物(照り焼き)である。

このような文化の変容はとても興味深く、その根底に何らかの基本的な考え方の変化があったに違いない。それが何であるかはまだ分からないが、是非今後探求してみたいと思うテーマである。

岩波文庫。700円+税。
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