2013-08-06

玉村豊男 『料理の四面体』

玉村豊男 料理の四面体


玉村豊男は料理を主なジャンルとするエッセイストで、現在では長野県に住み、
著作の傍ら自分の農園とワイナリーを経営しているのだが、
この『料理の四面体』は、玉村豊男の処女作である。

ぼくは玉村豊男は、他にいくつか著書をパラパラ眺めたこともないではないが、
その洋食好き、ワイン好き(ぼくはどちらもそれほど興味がない和食派)と、
理が勝った文体が、実はあまり好きではないのだけれど、
『料理の四面体』は料理を始めた頃に読んで大変大きな刺激になり、
また料理についての自分なりの考え方を構築するのに役立った。



この本は東大仏文科で言語学を学び、また料理好きでもある著者が、
「料理を文化人類学的に捉える」ことを試みたものである。
文化人類学が何であるかはさておき、この本の中で著者は、
「全ての料理のルーツは一つで、世界中のあらゆる料理は、一見まったく
違っているようでいて、作り方の根本においては同じものである」
ことを主張する。

「料理が全て同じものだ」とは、料理は「和洋中」という大きな違いがあり、
さらにその中にも様々な料理があることを思い起こせば、尋常な主張ではないが、
玉村豊男はそれをこの本の全編を通し、ゆっくりと分かりやすく説き起こしていく。
この本を読み終わる頃には誰でも、
「なるほど、そういう考え方もあるのかもしれないな」
と納得すると思う。



玉村豊男が「料理のルーツ」であるとしてあげるのが、アルジェリアの
「羊肉シチュー」である。
ニンニクと共に肉を焼き、トマトを潰し入れて塩で味つけし、
ジャガイモと一緒にしばらく煮る。

著者がアルジェリアを放浪している最中に、現地の青年にふるまわれた
この料理を、「肉を焼く」「肉の出しでソースを作る」「付け合せの野菜を煮る」
などのプロセスに分解すれば、例えばそれは、フランスのコース料理になるという。
著者は様々な料理の作り方を分析しながら、世界中の様々な料理が、
この「羊肉シチュー」の類型や派生であることを明らかにしていく。



玉村豊男のこの主張は、ぼくから見ると、ちょっと西洋料理に偏りすぎていると
感じるところがあるのと、歴史的な観点があまり考慮されていないという意味で、
どうかと思うところもないではないのだが、
「料理を表面に現れた違いから見るのでなく、作り方の根本に見られる
共通性の側から見る」
という考え方は非常におもしろく、また料理に親しみ、料理の世界を探索
していくに当たって、強力な指針となり得るものだと思う。

料理はまずは、自分でレシピ通りに作ってみるところから始まると思うが、
そこで終わってしまうのでは面白くない。
様々な料理を自分で考え出し、作れるようになるためには、
料理の根本にある考え方を自分なりに見出し、理解する必要があると思うが、
この『料理の四面体』は、そのための視点を与えてくれるものになる。



料理は、「人類最大の文化」であると言ってもいいものだと思う。
毎日の料理をする一人ひとりの人は、その文化を継続させ、発展させていく
役割を、無意識のうちに担っている。

料理をする自分が、そのような巨大文化を構築する一員であることを知ることは、
決してムダなことではない。
毎日の料理が、それによってパッと前が拓けたように楽しくなることも、
ないとは言えないことだと思う。



「おっさんも理屈が好きだからね。」

料理の四面体とチェブラーシカ

どうしても言葉で理解したいと思うタチなんだよな。






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