2012-12-24

なじみのバーの忘年会

今日は四条大宮のバー「スピナーズ」の忘年会。
居酒屋を貸し切り、総勢22名が集まったのだけれど、知らない人が多いのにびっくり。ぼくはいつも、決まった曜日の決まった時間帯にしか行かないから、決まったメンツとだけ会っていたということだったんだな。





3時間の飲み放題、20~30代の若い人がお腹一杯になるだけの食べ物も出てきて4,000円。かなり安いんじゃないのか。
ぼくは酔っ払って若い人たちに説教をしないよう、ビールばかり飲んでいた。





京都の有名バンド「片山ブレーカーズ」ベーシストの吐夢(とむ)君と。
ライブをやると300人の会場が満員になるそうだ。





2次会はカラオケ。
引き気味の女性を前に、1人でブレているおっさん。





こちらも1人でブレている。






いつもスピナーズでは、40代の人と話すことが多いのが、今回は30代の人たちと話せたのがよかった。
30代は人生これからで、まだ迷っているところがかわいい。











成人するのは二十歳ということになっているけど、これは人生50年の時代の話であり、
人生80年のいま、実際に社会で大人扱いされるようになるのは、
35歳なのではないかと思う。

ぼく自身のことを振り返ってみても、35歳になった頃から、
それまでのように周りから庇護されることが少なくなり、
社会の風圧をまともに浴びるようになったという実感がある。

昨日話した30代の人たちは、会社などに属するのでなく、
自力で人生を切り開こうとしている人が多かった。
会社にいれば、ある程度先が見えるところもあるけれど、
1人でやっていくのは、この不景気な時代だから、不安があるのは当たり前だ。

様々な不安を抱えながらも、何とか前を向き、がんばろうとしている姿が愛おしい。



1人でやっていくとなると、信じるものは「自分」しかない。

自分を信じるとは、自分の感性を信じることだ。

頭をフルに働かせることはもちろん大事だし、それなしには何もやっていくことは
できないけれど、頭は往々にして、ありもしないものを作り出してしまう。
それをチェックできるのが「体」であり、体が発する声に耳を澄ませることができるか
どうかが、分かれ目になるのではないかと思う。

体が発する声は客観的には捉えられないから、現代の社会から
こぼれ落ちてしまいがちだ。
でもそれが見えなくなってしまうと、人生に迷うことになるのだと思う。





「おっさんはもう迷わないの?」
いやオレも毎日迷ってるよ。