2012-02-03

「才能」について。
「ほうれん草とトマトのカレー鍋」



「才能」とはよく使われる言葉だが、その使われ方をよくよく考えてみると、「才能」などというものは存在しないことが分かる。



いい絵なり、音楽なり、文章なり事業なりがあったとして、それを見て、とてもいいと思った時、

「この作品の作者は才能がある」

などという風に、「才能」という言葉は使われたりする。

しかしそこで実際に起ったことは、

「この作品はいいと思った」

ということだけだろう。

「才能がある」というのは、事実ではなく、あくまでその作品を見た人の、個人的な解釈だ。



ここでなぜ、いい作品を見た、というところに留まらず、その作品の作者を「才能がある」と解釈しなければいけなくなるかといえば、

「この作品は、自分には到底つくれない」

という気持ちが、その作品を見た瞬間にわき起こるからだろう。

自分にはつくれない作品をつくった作者に対し、うらやむ気持ちやら、やっかむ気持ちやらがわいてくる。「それにひきかえ自分は・・・」と、自分を責める気持ちもわいてきたりする。

そこで相手と自分を区別し、「べつに自分は悪くないんだ」と安心させるための方便として、その作者に対し、「才能がある」とレッテルを貼ることになる。

「相手は自分とはちがう、才能がある人間なのだから、自分にはつくれないこんな作品をつくって当然だ、自分は悪くない・・・」

と納得することになるわけだ。



しかし作品は本来、つくってみようとしない限り、つくれるかどうかなど分からない。

どんなものでも、実際につくってみると、自分にも思いもよらかなかった、素晴らしいものができることだってある。

だから素晴らしい作品を見たら、ただその素晴らしさを堪能すればいいだけなのに、それをあえて、「才能がある」と評することは、人間の弱さに起因することだといえるだろう。



他人に対し、「才能がない」と評することは、いつでも完全に間違っている。

なぜなら才能とは、あくまで「素晴らしい作品や結果」に対して、評されることで、誰だって、これから素晴らしい作品をつくるかもしれない。

その可能性を排除して、人に対して「才能がない」と言う者は、ただ知性の貧困を示しているに過ぎない。



問題は、「才能がない」という言葉を、自分に対して発する場合だ。自分のことなのだから、才能があるなしは、分かると思うかもしれない。

しかし、「自分は才能がない」と思う時は、いつでも何かをあきらめる時だ。

あきらめるための、もっともらしい理由として、ただ「才能」を持ち出しているに過ぎない。

だからこの場合も、「才能」はあくまで、自分の弱さに起因する、実態のない言い訳なのであり、事実を表したものではない。



このように、「才能」という言葉は、常に自分の弱さを覆い隠すための、「言い訳」に使われるに過ぎないものだ。

何らかの事実を反映したものでは、全くない。

だから、「才能」などということには、一切とらわれる必要がないし、もし気になるのなら、ただ、

「自分は才能がある」

と、決めつけておけばいいだけのことだ。

これは「運」も同様だ。



ただ、「適性」というものは、たしかにあるとは言えるかもしれない。「向き、不向き」はやはり人間、全くないとは言えないだろう。

しかし「向いている」とは、「たいして努力しなくても、やり続けられる」ことと、ほぼイコールだ。

だから自分が「やりたい」と思えることを探していけば、適性はおのずと見つかることになる。






昨日は、カレー鍋にしようと思った。

しかしカレー鍋に、何を入れるかが問題だ。

ジャガイモだのニンジンだのを入れて終わってしまえば、ただの「カレー」になってしまう。

かといって、白菜だの、キャベツだのを入れるのは、どうもピンと来ない。

そこで思い付いたのが、「ほうれん草」。

インドカレーには、ほうれん草を入れた緑色のカレーがある。

ココ壱カレーの、ほうれん草のトッピングも、うまい。



さらに「トマト」も思い付いた。

トマトは、カレーの基本的な調味料だといえるだろう。

さらにほうれん草のサラダに、トマトが乗っていてもおかしくないから、トマトはほうれん草との相性もいいだろう。



そこで昨日、カレー鍋に使った材料。

豚コマ肉。下ゆでしたほうれん草。湯むきしたトマト。油揚げ。ジャガイモ、玉ねぎ。砂出ししたアサリと、しめじ。



昆布と削り節でとっただしに、カレー粉をたっぷり入れる。さらに酒、みりん、それにうすくち醤油で味付けする。

濃口醤油を使うときは、適当に入れたら、あとは塩で味を整える。



あとは煮えにくいものから、順に入れていくだけ。

ほうれん草は下ゆでしてあるから、最後のほうで入れ、温める程度でいい。

トマトも、あまり煮てしまわずに、形を残しておくのがいい。

昨日は1回でやってしまったが、食べる分だけ入れるようにした方が、うまいとは思う。



ほうれん草と豚肉の相性が、まず最高であることは、言うまでもないことだが、これにカレー風味は大変、いい。

さらにトマトや油揚げ、アサリ、などなどとの相性も、抜群だ。



シメはうどん。

うどんは初めから入れてしまって、うどんすきにしても、非常にいいと思う。