2011-12-14

冬の味覚。「タラちり鍋」

うちの近所には、魚屋が3軒、スーパーも5~6軒あり、そのどれもで、魚をひと通り買っているのだが、そのうち1軒の魚屋が、たいへんいい。

三条会商店街の、「ダイシン食品店」というのだが、置いてあるものが、いつも必ずいい。かといって、値段が高いわけでもない。

昨日もたっぷりと入ったタラのあら。300円。

またこのタラが、イキがよくて、グニャグニャ。タラのあら自体、他の店ではあまり見かけないのだが、こんなイキのいいのは、まず見たことない。

しかもこのあらを、若大将は、きちんと塩もみして、ただ水洗いするだけで、料理に使えるようにしている。

昨日も実は、天然ブリのあらの、一匹分まるまま、ものすごい量が入っていたのが、900円で売っていた。あまりに量が多くて、今後3日間はブリを食い続けなければいけなくなりそうだったのと、ブリはつい先日食べたばかりだったのと、昨日はどうしても、鍋が食べたかったのとで、若大将がせっかく熱心に勧めてくれたのに、泣く泣くあきらめたのだが、若大将はそうやって、あらにたいしても愛情をもっている。あらをちゃんとおいしく食べられるよう、本来は切り身として、もっと高く売れるような部分まで、あらの方に入れたりしている。

このへんの魚屋やスーパーは、みな同じ市場で仕入れているのだから、条件は変わらないはずだろう。それなのに、これだけのちがいが出てくるのだから、魚屋を選べる場所に住んでいるというのは、日本人としては、幸せなことだ。



いいタラが手にはいってしまえば、タラちり鍋は、もうもらったようなものだ。

だしは昆布のみ。ここに酒を、ジャバジャバと多めにいれる。

酒は安い料理酒では、塩気が付いてしまうからダメだ。安い日本酒を買うのが一番いい。



材料は、タラの他には、長ネギ。豆腐。しめじ。それに三つ葉。おとといのカキ鍋と、まったく同じだが、これはやはり、魚介の鍋には、黄金だろう。

ちょっとしたものを摘みながら、あたたかい酒をのみ、鍋が煮えるのを待つ。



鍋のたのしさは、焚き火やキャンプファイアーと、似たところがある。火を自分で管理することは、人間にとって、最も根源的ともいえるものの一つだろう。卓上の小さなコンロで鍋をすることは、自分の人間としてのルーツを、確かめることにもつながっている。

火は、あまり大きくないほうがいい。汁がなかなか沸きたってこなくても、そのじれったい時間がいとおしい。

ガス代が多少かかっても、フタもしないほうがいい。鍋が煮える様子を、しみじみと眺めていると、人間は哲学者になる。



タレは、ポン酢に大根おろし、青ネギ。そこに一味唐辛子をふる。大根に穴をあけ、鷹の爪をさして大根をおろして、もみじおろしをきちんと作るのはもちろんいいが、一味唐辛子でもじゅうぶん間に合う。



ちり鍋のシメは、やはり雑炊。冷や飯があれば、それを入れてもかまわないし、なければ、洗ってザルに上げておいた生米を、そのまま入れる。15分も煮れば、十分やわらかくなる。仕上げはもちろん、卵でとじる。



魚と野菜の味が凝縮した雑炊の、筆舌に尽くしがたいうまさ。鍋は、この雑炊を食べるためにある。



食べ切れなかったタラのあらは、翌日「じゃっぱ汁」にする。じゃっぱ汁は青森の名物で、タラが大漁だと、浜で女たちが、漁船の帰りを待ちうけ、このじゃっぱ汁を作るのだそうだ。

「じゃっぱ」とは「雑多」のことで、身からあらから、すべて入れる、という意味らしい。味付けは、味噌でもしょうゆでもかまわないが、拍子木に切った大根を、忘れないのがポイントだ。と、これは、魚屋の若大将の受け売り。