2011-09-15

広島の食い物に見る「寄り添い」の精神

広島にいたのは1年8ヶ月だったのだけれど、食べることの楽しみを教えてもらったのは広島だったという気がする。勤め先の人の影響で、食べ歩きをするようになったのがきっかけだ。このブログを始めたのも実質的には広島にいる時だったし、毎日晩飯を自分で作るようになったのも、広島にいる時だ。食べ歩きは、お好み屋だのラーメン屋だの大衆食堂だの、安いところにしか行かないのだけれど、食い物はやはり人間の嗜好が直接、色濃く出てくる部分だから、食い物屋をまわることで、その土地その土地の人のあり方を知ることができる。流行に乗った新しい店は、日本全国どこへ行っても同じようなものだが、地元で長くやっている古い店ほど、その土地の性質を強く表すことになるだろう。

安い食い物を出す店でも名店というものはあり、広島にも名店はいくつもあるわけなのだが、中でも週に3回ほどのペースで通い続けたのが、「恵美」という店だ。広島の漁港草津港にある、中央卸売市場の中に入っている大衆食堂なのだが、平日も2度ほどはランチを食いに行き、土曜日には朝からカウンターの隅に陣取って、出される食い物に舌鼓をうち酒を飲んだ。

基本的におばちゃんが一人でやっている店で、昼時などは手が回らなくてテーブルの後片付けができず、出しっ放しになっている食べ終わった食器を、常連のお客さんが片付けたりしていた。おばちゃんもよく注文を間違える。おばちゃんの仕事のやり方をカウンター越しに見ていると、もっと効率を考えればよいのにとじれったくなるくらいで、自分が作っている料理をどのお客さんが、どういうメニューで食べようとしているかを、一つ一つすべて把握し、同じ料理でもメニューの組み合わせにより付け合せを変えたりだの、細かい配慮をしていることが伝わってくる。お客さんも、おばちゃんがそうやって一人ひとりのことを考えながら、料理を出しているのを分かっているから、多少の不手際があっても怒ることなどせず、自分の料理が来るのをじっと待っている。

広島は、これはたぶん戦争の影響じゃないかと思うが、女性が自営で飲食店をやることが、他の土地に比べて多いのじゃないかと思う。お好み屋は、繁華街にある店は別として、地元の裏通りに点々と広がる店は、ほとんどがおばちゃんがやっている。ラーメン屋をおばちゃんがやっていることもある。他の土地でも女性が一人で店をやっていることがあったりはするが、多くはご主人がやっていた店で、ご主人が亡くなったりして、それを自分が引き継ぐというパターンだろう。しかし広島では、初めから女性がやっている例がとても多い。

女性がやっていることも、理由の一つになっていると思うのだが、広島の飲食店は、やさしい味がする所が多い。余計な自己主張がなく、かと言って足りないこともない。自分がまさに今、食べたいと思っていたものが、そのまますっと差し出される感覚だ。「寄り添う」という言葉がぴったりくると思えるのだが、賢い女房が自分の脇にぴたりと寄り添い、必要なことがあるとこちらが言う前に素早く察して、さっとそれをしてくれるという感じ。それを一人のご主人に対してではなく、お客さんの全体に対してするわけだから、寄り添うノウハウというものが、どんな形でかは解らないが、広島には確かにあるのだろう。

恵美もそういう店で、とにかく何を食べても、いちいちうまい。取り立てて変わったものを置いているというわけではない。恵美ではラーメンと寿司を出すようになっていて、それだけは普通の大衆食堂にそうそうあるものでもないだろうが、それ以外の、ごくごく普通の、焼いたものやら炊いたものやらを食べても、何が違うということもないのだが、うまい。

広島の食い物に余計な自己主張がないというのは、広島が魚がうまい土地だというのが、関係しているところはあるのだろう。恵美も漁港にある食堂だから、出てくるものはほとんどが魚料理なのだけれど、その魚はすべて、その日の朝、目の前の市場で仕入れてきたものなのだ。新鮮な魚は、あまり手をかけすぎないほうがうまい。広島が、新鮮な魚が豊富に手に入る土地柄だったから、自己をいたずらに主張せず、必要最低限の手をかけるという料理のやり方が、発達したと言えるのかも知れない。

実際、生きのいい魚が手に入らなかった京都では、料理に徹底的に手をかけるというやり方が発展している。それが京都の「おもてなしの心」なのであり、京都の料理は、そうやって亭主が微にいり細にわたって入れてくれた細工を楽しむものだろう。それが千年にわたって蓄積されたものが、京料理という、日本を代表する食文化となっている。

広島の料理はその対極にあるとも言えるもので、料理人が一切の自己主張をせず、逆に自分の気配を消すことで、素材を生かし、食べた人を満足させる。ただ単に、未熟であったり、粗忽であったりするから手をかけないのではない。自分が手をかけようとした時に、それをしようかすまいか熟考し、その結果、手をかけない選択をするということなのだろう。そういうノウハウは、あくまで精神的なものであり、レシピのような形で紙に書くのが非常に難しことだと思うが、広島にはそういう形の食文化があるのであり、今の時流でをれが忘れ去られ、失われてしまうことがないといいなと、切に願うところだ。



広島や、あと鳥取や島根の山陰地方で食べた魚の中で、いちばん感動したのはアジだ。アジはそれまでも好きで、よく刺身で食べていたのだが、とれたてのアジは味がまったく違う。刺身を食べて、カンパチかなと思ったものが、聞いたらアジだというので、腰を抜かすほどびっくりしたことがある。コリコリして、脂が乗って、それまで食べていたアジの刺身とはまったく別物だった。

アジは刺し身や塩焼きもうまいが、干物にするとまた一段とうまくなるところがある。今年の夏は、まだアジの干物を食っていなかったから、シーズンが終わってしまう前にと思い、スーパーのアジを買って焼いてみた。まあこれは、さして言うほどのこともない、普通のアジの干物だったが、しかしこういうものを肴に酒を飲むのもまたいいものだ。


他にも昨日は、無料理料理の数々。つい酒がうまくて飲み過ぎてしまい、昨日は3合飲んだ。