2011-09-12

魅惑の無料理料理


このごろ「無料理料理」の魅力に再びハマってしまっているのだ。

無料理料理とは、まったく意味不明の言葉だが、無国籍料理をもじって勝手に作ってみた。「料理をしない料理」という意味で、料理なのか料理じゃないのか、はっきりしてくれ、と言いたくなるのは当然というべきなのであるが、この料理と料理じゃないところとの境界あたりに、なかなかの魅惑の世界がありそうだということで、とりあえず名前を付けてみたというわけだ。

たとえば「きゅうりに味噌を付けて食べるのは料理か」という問題がある。これは料理じゃないと言う人も多いんじゃないか。それじゃあ、きゅうりをきれいに切りそろえて、それを器にきれいに並べ、味噌を添えて出すというのは料理か。こうなると、飲み屋のメニューにも登場してくることになるわけで、料理か料理じゃないか、微妙なところになってくるだろう。これを料理でないと言いたい人もいるのじゃないかと思うのだが、そうなると、生の魚を切りそろえて並べ、それに醤油をつけて食べるのも、料理でないということになる。

きゅうりとにんじんとセロリをきれいに切りそろえて器に盛り、これにマヨネーズを付けて食べるのは料理か。まだ料理と言うには足りない感じがするわけだよな。しかしこのきゅうりとにんじんとセロリに、手製のドレッシングをかけて食べるということになるとどうなるか。これは「サラダ」であって、はっきりとした料理になる。

ほうれん草をゆでて、それにおかかと醤油をかけて食べるのは料理か。これも微妙なところなんじゃないか。しかしゆでたほうれん草を、だしで和えて出したらどうなるか。これは料理と言えるだろう。

そうすると、料理と料理でないものの境界は、「味付けをするかしないか」というところにあると言えることになるんじゃないか。自分で調合した調味料を使うものは料理であり、醤油や味噌、マヨネーズなど、ただ「タレ」を付けたりかけたりするものは、料理ではない。


昨日僕が食ったもん。


鶏もも肉に塩をすりこんで焼き、青ねぎとレモン汁をふって食う。これはボリューム的には、非常に料理と呼びたくなるところもあるが、しかし実際のところ、これを料理と呼ぶには微妙にためらうものがあるだろう。少なくとも料理の本に、鶏ももの、照り焼きやコショウ焼きは載っていても、ただの塩焼きはぜったい載ってない。


ひろうずの含め煮。一昨日作ったのを冷蔵庫に入れてあるのだが、これははっきり料理と言える。


なすの塩もみ。なすに塩をふりかけ絞る。これは料理としちゃ失格だろう。


オニオンスライス。薄切りにした玉ねぎに、おかかとポン酢を掛けて食べる。これも料理とは言えないよな。


きゅうりとセロリの浅漬。きゅうりとセロリを塩もみし、だし昆布と鷹の爪、それに酢をぶっかけて冷蔵庫に入れておく。これはそれなりに味付けがされていると言えなくもなく、微妙なところはあるが、それでも料理とは呼ばないのじゃないか。漬物は普通、料理と言わないだろう。

こうやって点検してみると、僕が昨日食った5品のうち4品は、料理ではないということに相成った。


ところがこれら無料理料理が、非常にうまいわけだ。飯のおかずとしてはどうなのかと思わないこともないが、酒の肴としては、これほどいいもんはない。

無料理料理がどうしてこれほどうまいのか、よくよく考えてみたんだがようわからん。下手に味付けしてあるものより、素材の味を直接に感じることができるから、などということも、理由の一つとしてあるかとは思うんだが、それだけではどうも、無料理料理の開放感というか、爽快感というか、そういうものを言い表したことにはならないと思うのだよな。

じっさい無料理料理は、日本にはものすごく多い。まず日本料理の代表とされる寿司や刺身は、無料理料理だろう。とんかつも無料理料理の可能性が高い。とんかつは西洋から伝わってきたときは、きちんと手をかけて作ったソースをかけて食べる、立派な料理だった。ところが日本人は、とんかつをウスターソースという、醤油に似たようなものをかけて食うことにし、無料理料理に変えてしまった。ただとんかつは名古屋のように、味噌ダレを作ってかけたものは、料理のうちに入るんだろう。

ほとんどすべての屋台料理は、無料理料理だろう。焼きとうもろこし。焼きそば。焼き鳥。お好み焼き。バーベキューも無料理料理だ。鍋も、ポン酢を付けて食べる水炊きとなると、無料理料理だろう。

無料理料理を日本人が好んで食べるというのは、何か理由があるんだと思うんだよな。その理由は、考えてもよくわからなかったが、無料理料理がいいというのは間違いないことだ。僕はこの秋は、無料理料理に精を出すことになるだろうってこった。



昼飯はソーミンチャンプルー。味付けは塩コショウだけなのだが、この「塩コショウ」が、味付けのうちに入るのかどうか、かなり微妙なところはあるな。


ちなみに昨夜は十五夜の前日。


きれいな月が、東山から上ってきた。