スーパーってのは楽しい場所で、僕は毎日30分くらいはスーパーで過ごしてる。スーパーに並んでる材料を色々眺めながら、今夜は何を食べようか、あれこれと思いを巡らすのが楽しいんだな。
料理の初心者とかだと、スーパーへ行く前にあらかじめ料理の本か何かを見て作るものを決めて、メモ書きした材料を見ながら買い物することをしがちだと思うけれど、それは非常にもったいなのじゃないかと僕は思う。メモ書きをしてしまうということは、メモに書いてあるもの以外は見ないってことだから、そうなるとスーパーの楽しみのほとんど全てを、棒に振ってしまうことになると思うんだよな。
「今晩何を食べるか」ってことについて、料理の本ではなく、スーパーの材料を見ながら考えると、材料の側が、「私を食べてください」と訴えかけてくる。それは旬のものだったり、その日たまたま安いものだったり、いつもは置いていないのにその日だけ置いてあるものだったりするのだけれど、そういう声に耳を傾けながら、それじゃその材料を使って何を作るのかと考える時間が、なんとも楽しい。
料理ってのは、どういう風にであれ自分が好きなように作っていいものなのだ。これは本当は当たり前のことなのだけれど、料理の本にあれこれ詳しく書いてあるのを見ると、忘れてしまいがちになる。ああしなくちゃいけない、こうしなくちゃいけない、そういうものがゴマンと並んでいるのを見てしまうと、自分が考え付くことなど、ちっぽけな、つまらないことのように思えてくる。
もちろん料理の本を参考にするのは悪いことではないのだけど、料理の本と自分の考えと、どちらを優先させるのかという時に、あくまで自分の考えを優先するというようにする。そう思えた時に、料理はほんとに楽しいものになってくると思うんだがな。
僕は青菜が非常に好きで、スーパーで材料を見ていると、ほぼ必ず毎回、青菜に呼び止められることになる。ほうれん草を筆頭に小松菜、水菜、あたりなのだけれど、まずあの独特な苦っぽい味が、僕は好きだということなんだな、たぶん。
僕は魚でも、サバやらサンマ、アジ、イワシ…あたりの青魚が好きだから、要はクセのある食い物が好きだということなんだろう。自分がクセのある人間だから、仕方ない。
しかも青菜は、いかにも栄養がある感じがする。これはポパイがほうれん草の缶詰を食べて元気百倍になるという、あのアニメに影響されたところもあるのかもしれないが、実際僕にも体験がある。
以前名古屋にいた時なのだが、どうしても疲れが取れない時があって、睡眠を十分とっても、サウナや風呂にゆっくり入っても、ジムに行って運動しても、どうやってもダメ。もう年なのかと思っていたら、あるときほうれん草を一羽買ってきて、それをゆでて食べたら、翌朝前日まで自分が疲れていたことなど思い出せないくらい、疲れが取れて元気になっていたのだ。
それ以来僕は青菜教の信者になっているところもある。
青菜の中で、一番使う機会が多いのは小松菜だ。小松菜ってほんとにいい奴だと思うんだよな。
小松菜はほうれん草、水菜の青菜三兄弟の中では一番地味で、あまり人気もないのだろう、値段も安く、よく見切り品で小松菜が大量に出されていたりするのを見かける。こないだは小松菜が段ボールにいっぱい、見切り品で出されていた。
たしかに小松菜は、ほうれん草のような独特のアクの強さもないし、水菜のような洒落た感じもない。食べ応えもほうれん草のようにやわらかくもなく、水菜のようにシャキシャキもしていない。なんとも中途半端で、ひとことで言えば無骨。
でも小松菜は、その分、どういう使い方をしても、うまく対応してくれる。おしたしはもちろんOK。また煮物、炒め物ともそのまま放り込んでしまってだいじょうぶ。ほうれん草は、炒め物はまだいいが、煮物となると、アクがきついから、一回下ゆでしないと使えない。水菜はあのシャキシャキ感が身上だから、煮物や炒め物にして味をしみ込ませてしまうと、クタッとしてイマイチになる。小松菜は特別な個性がないかわり、応用範囲が広んだな。
しかも値段も安いとくれば、小松菜を多用しない手はないというわけだ。
豚肉と小松菜のうどんすき。これはただ、豚肉と小松菜、油揚げ、それにうどんを、だし昆布と、たっぷりの酒、みりん、それにうす口しょうゆで味をつけただしで炊いたというだけ。豚肉と小松菜、それに油揚げの相性の良さは言うまでもないわけで、日本酒にもバッチリ合います。
青ネギと七味を振って食う。