2011-07-17

祇園祭 山鉾巡行


祇園祭は7月の1ヶ月間にわたって、様々な行事が行われるわけなのだが、ハイライトは何と言っても「山鉾巡行」。
32基の「山」と「鉾」が、男衆に曳かれて、京都市内を駆け巡る。
応仁の乱と第2次世界大戦の時、数回中断されたのを除いて、千年にわたって続けられてきている行事で、山鉾はそれぞれの町会で保管され、時期になると組み立てられて飾られ、曳き回されて、終わるとすぐに解体されまた保管される。
こういうことがすべて千年にわたって、自主的に行われてきているというのだから、京都というのは全くすごい場所だ。


衣装もそれぞれの山鉾ごとに異なったものがしつらえられていて、しかもそれが山鉾を曳く人用とか、そのそばで一緒に歩く人用とか、屋根に登る人用とか、何種類も用意されている。
そういうものもいちいち、洗濯して、アイロンをかけて、修繕して、保管して、としていくわけなのだろうから、その手間たるや莫大なものだ。
そいういう一つ一つの細々とした手間は、「利益を生み出すため」にされているということではないだろう。
もちろん観光収入という形で返ってくるものがあったとしても、それを目的としたものでないというのは言うまでもない。


八坂神社という宗教施設にまつわる行事なのだから、一種の宗教行事であることはたしかだ。
でもその宗教は、日本の場合、キリスト教や仏教のように、特定の信仰や修業が必要とされるものではなく、目的もはっきりしていない。
山鉾を管理し、運営する人達に、「その目的はなにか」と尋ねても、あまりはっきりした答えは返ってこないのじゃないか。
にもかかわらず、それが千年にわたって、人々により継承されていることが、日本の強みなのだよな。

原子力のことなども、一旦始まってしまうと、人々の生活に組み込まれ、目的や善悪を省みることなく継続されるということになる。
それは不動の推進力の源になるのだけれど、方向を変えようと思っても、今度はそれが、なかなか難しいことになる。
とまあ、書いているうちに、どんどん訳のわからないことになってきてしまいました。
山鉾巡行を見ながら、日本の持つ伝統の力というものに、色々想いを馳せるところがあったということなのです。はい。



山鉾巡行を見るのに、穴場なのは新町通だ。
これは僕がよく行く飲み屋のマスターに教えてもらったことだから間違いない。
祇園祭のハイライトだから、毎年莫大な数の観光客が押し寄せる。
沿道は人でいっぱいになり、身動きも取れない状態になるのだけれど、新町通だけは空いている。
なぜなら山鉾巡行のルートマップに、新町通はルートとして載せられていないからだ。


だけれども、新町通には、放下鉾、南観音山、北観音山、八幡山という4つの山鉾があり、新町通に待機していると、この4つの山鉾が通過していくのを見ることができる。
しかも新町通は細い裏通りだから、山鉾がまさに目と鼻の先を、ド迫力で通過していくことになる。
さらに山鉾が通過した後を追いかけていくと、四条新町で方向転換するときに、「辻回し」という作業をするのも見ることができる。

来年からこのブログを見た人が新町通へ押し寄せて、新町通が混雑してしまうようになるのは僕としても困るのだけれど、内緒で教えておきます。
ちっとも内緒じゃないよ。


山鉾巡行と似たような、出車を引っ張るお祭りとして、岸和田のだんじりというのも有名だ。
しかし岸和田のだんじりは、山鉾巡行のようにのんびりしたものではなく、はるかに荒々しいのだそうだ。


山鉾巡行では方向転換する時に、車輪の下に青竹を敷いたり水を撒いたりして、せーので引っ張るという作業を3回くらい繰り返す。
そうやって少しずつ方向転換させていくわけだ。
ところが岸和田のだんじりでは、山鉾巡行とはまったく違って、だんじりを止めることなく、急カーブを曲がっていくのだそうだ。
岸和田の近くで生まれ育った友人は、山鉾巡行があんなに時間をかけて、まどろっこしいやり方で方向転換するというのは、さすが都のやり方だと言っていた。

岸和田のだんじりも山鉾巡行と同様、細い路地を通って行ったりするそうなのだけれど、スピードをつけたまま方向転換するから、そこいらの壁にぶつかったりするのが日常茶飯事であるのはもちろん、だんじりが倒れて死者が出ることもあるのだそうだ。
でもそうやって死者が出ても、だんじりのやり方が変わることはないというのだから、日本というのもまだまだ奥深いところがあるのだな。


新町通から4基の山鉾が出ていくのを見たら、とりあえずビール。
それから早めの昼酒をしに行くことにした。
本当は新町通は、書き忘れたけれど、すべての山鉾が帰りに通る場所なのだ。
だからそこにいると、次から次へと山鉾が通っていくのを、間近に見られることになるのだが、まあしかし山鉾は、どれも似たような形をしているし、4つも見れば十分なのだ。


行った先は「和ごころ 泉」。
食べログで調べて、5千円ていどで美味しい京料理が食べられる店として選んだのだが、思っていたよりはるかに良かった。

酒は「英勲」。
「京都らしい、はんなりとした風味がきっちり出ているやつをくれ」
と言ったら出してきたやつ。
たしかにその通り、しっかりとした味があって旨かった。

この店の料理はいちいちうまい。

お造りだの。

鱧と冬瓜のお椀だの。

鮎の塩焼きがまたこんがり焼けてて美味かった。

いちばん感動したのは「とうもろこしのご飯」。

いわゆる和食というと、東京の僕などのイメージからすると、ご飯にとうもろこしを炊きこんだりはしないものだと思うんだよな。
豆くらいなら解るのだけれど、とうもろこしとなると、和食の枠から外れてしまうような感じがする。
しかしこれが、じつに美味い。
特定の農家から取り寄せたとうもろこしを使っているそうで、そのとうもろこしでないと、この美味さは出ないとのことだったが、とうもろこしの甘みが何ともいえず引き立っている。

前に「瓢亭」という京都の有名な料亭で、「朝粥」というのを食べたとき、そこでただ半分に切った半熟ゆで卵が入っているのを見て、同じような印象をもった。
他の料理はすべて、贅を凝らして調理されているのに、ゆで卵だけはなんとも無骨な感じがして、京料理というのに相応しくない感じもするのだけれど、瓢亭の朝粥というのは、女遊びをして朝帰りする旦那衆に食べさせるために始めたのが起源だったのだそうだ。
朝帰りする旦那衆は、当時は高級品だったろう卵を食べて、精をつけたのだろうなと想像すると、この無骨なゆで卵があるということが、何とも生き生きしたもののように思えてくる。

とうもろこしのご飯というのも、イメージからすると和食から外れる感じはするのだけれど、考えてみたら季節の美味しい穀物をご飯に炊きこむというのは、和食の王道なのだから、ちっともおかしいことじゃない。
イメージという、自分の外側に捉えるものとして和食を考えるのでなく、あくまで自分の内側の、生き生きとした活動の延長線上に和食を考えるというかんじがして、僕はこの店がとても好きになった。

ただ念を押しておくと、この店は創作和食の店じゃないのだ。
あくまで伝統的な、きちんとした和食を出す店。
でもその伝統というものが、あくまでこの店の大将自身の中にあるものだということなのだな。

和ごころ 泉
京都市下京区四条新町下ル四条町366番地
四条敷島ビル一階
TEL (075)351-3917