2011-07-11

僕の幸せなどまったく簡単なものですから

世の中には他人の幸せまで考えてくれる人がいて、全くご苦労なことなんだが、僕のことは放っておいてもらいたい。

だいたい幸せというものが他人が与えられるものならば、日本人はとっくに幸せだろう。アフリカの難民にしたって、中国で弾圧されている人だって、日本人よりよほどつらい生活をしている人は、世界にいくらだっている。
戦後の廃墟で復興を決意した人にとってみれば、今の日本など夢のような生活を送っているのじゃないか。

でもその幸せであるはずの生活を幸せと思わないところに、人間の難しさがあるのであって、そういうことを考えてみもせずに、志士を気取った発言をするなどということは、まったくの屁の河童だ。
自然エネルギーということについて、何らかの具体的な目算があるということなのだろうけれど、こういう発言を見ると、この人は何かおかしな方向へ進んでしまっているのじゃないかと、心配になってしまうのだよな。

と人の言葉尻をとったタチの悪い難癖を付けてみたわけだけれども、僕の幸せはまったく簡単だ。

朝風呂。

朝ビール。

ギョウザ。

中華そば。

こんなもんで死ぬほど幸せな気持ちになっておりますので、人様にわざわざ僕の幸せまで考えてもらわなくて大丈夫ですから。はい。


このところ毎日「暑い暑い」とわめいているのだが、まあしかし、今は初夏の、1年でいちばん気持ちがいい季節なのだよな。
暑いのだけれど、さわやかだ。
今年は節電しないといけないということで、昼間は扇風機で通しているが、今のところまったく問題ない。
これまで24時間エアコンを稼動させていた生活は、何だったのかとちょっと思ってみたりもする。

しかしこれが、夕方から夜になると、暑さがジトッとしてきて、耐えられなくなるのだよな。
だから昨日から、夕方からはエアコンを付けることにした。
何なんだ、あれは。
鉄筋コンクリの建物が、昼間の熱をたっぷり蓄えてしまうということなのだろうな、一つは。
あと夜に向かうにつれて、交感神経とかのバランスが変わるということもあるのかも。
まあしかし、夕方以降エアコンを付けるということについては、節電的にも何も問題ないわけだ。


このところソーミンチャンプルーに凝っている。
味的にはまさにビーフンとかと似ているのだけれど、これを肴に酒を飲むというのが、また格別なのだよな。
昨日も晩めしは、ソーミンチャンプルー以外には考えられなくなり、ニラともやしのソーミンチャンプルーを作ってみた。

ニラともやしというのは、炒め物なんかでも黄金の取り合わせだし、どう考えてもうまいに違いないと思ったのだが、イマイチだったのだな、これが。
素麺ともやしの取り合わせが、まったく最悪。
味付けがツナ缶のうま味に塩コショウだけというシンプルなものなので、尚更だったのかもしれないな。
まあいずれにせよ、「ソーミンチャンプルーにはもやしは入れないほうがいい」ということが解ったということでよしとしよう。

それから昨日は、三条会商店街にいつも露店を出している、上賀茂の農家のおばちゃんから買った、キュウリのぬか漬け。
これはすごい。
そんじゅそこらのスーパーで売ってるぬか漬けなんかとは、ぜんぜん違う。
かなり深く漬かっていて、これだけでご飯が何杯でもいけそうだ。

こういう柔らかで、まろやかな味のものって、最近の歯ごたえ重視の世の中では、あまりよしとされないところがあるのじゃないか。
しかしこういうものが、まさに「おふくろの味」なんだよな。
「全国おふくろの味コンテスト」とか、誰か企画しないかな。
僕は「おふくろの味評論家」として審査員やりたい。

酒は大七からくち生もとを2合。