2011-06-12

休日の無意義なすごし方

やはり休日は、意義のない一日を過ごすに限るということで、昨日も朝からサウナに出かけ、風呂上りのビールを一杯。

それからサウナを出て、新福菜館三条店。

さらにビール、それからギョウザ、中華そば。
この黄金のトリオはたまらないのだ。

昨日もふたたび、この中華そばを食べながら、なんでこれはこんなにうまいのか、考えてしまうことになる。
僕は新福菜館三条店のラーメンを食べるたびに、そのうまさの理由を考えつづけているわけで、ひとにこれだけ物を考えさせるラーメンというのは、そうそうはないのじゃないか。
しかしその内容は、これまで書いてきたこととあまりに重なるので今日は省略。

かえって昼寝。
それからだらだらと、ネット仲間と遊んだりして、そのまま晩酌。

昨日はグルメシティに、大量に入ったかんぱちのアラが、激安価格で出ていたから買ってきた。
アラっていうのはほんとに安くて、しかもまずいのかと言えば、だいたい骨の近くの肉というのはうまいと相場が決まっているわけで、下手な切り身よりはよっぽど脂がのっている。
ひとりで食べると2食分にもなるこの大量のアラが、198円で売っていたりするわけだから、それは思わず買ってしまうだろう。

これを湯通ししてから水でよく洗い、大根といっしょにコトコト弱火で1時間ほど炊く。
調味料はたっぷりの酒と砂糖、みりん、しょうゆ。
こってりとさせるのがポイントだ。
こってりさせるという意味は、まず砂糖とみりんをドバドバとたっぷり入れて、それから、塩加減がちょうどよくなるまで味を見ながらしょうゆを入れるということ。
砂糖やみりんを少なくすれば、うす口ということになる。
火を止めてから30分ほど、そのまま置いておくようにする。
このとき味がしみていくのだ。

ネットの仲間はいろんな世代がいて、もう4年近く付き合っているのだが、20歳そこそこの息子とたいして年が変わらないような子たちもいたりする。
そのひとりが昨日、自分の人生に意味があるのかと悩んでいた。
学校もろくに出ていない彼女だけれど、きちんと資格をとって、仕事はしていて、それはそれなりに楽しく、社長にもかわいがってもらっている。
でもそれを自分はこれから、一生続けていくのかと思うと、そこまでやりたいと思うわけでもない。
しかしだからと言って、ほかにやりたいことがあるわけでもなく、人生の目標みたいなものもない。
そうやってこれから生きていくことに、なにか意味があるのだろうかと。

僕はそれに対して、ふたつのことを言ったのだけれど、そのひとつは、人生の目標ともなり得るような、自分がほんとにやりたいことというのは、だいたい一見ほんとにつまらない、まったく意味があるとも思えないようなところに、何気ない顔をしてころがっているものだということ。
そんなことしても仕方がないのじゃないかと思いながらも、おもしろいからついやってしまう。
もしかしたらそれをやり終わったあと、ああ、なんで自分は、こんなくだらないことに、こんなに時間を使ってしまったのだと思ったりもする。
そういうものを、まあでもおもしろいからと続けているうちに、それが長年経つうちに、自分の天職とも呼べるようなことになっていたりもする。
それは今自分がしている仕事に関することであるのかもしれないし、そうでないかもしれないけれど、それを見つける羅針盤は「おもしろさ」ということだけなのだ。
初めのうちは、「意味」はともなっていないのだけれど、一見意味がないように見えたとしても、おもしろさを感じる自分を信じて、それを続けることができるか、できないかが、天職を見つけられるか、られないかを決める分かれ目になる。

それから「才能」と「運」というのは、自分が成功したときに、はじめて「自分には才能と運があった」と、ひとも自分も評価できる形になるのであって、それ以前の段階では、他人はもちろん、自分でも、才能や運があるのかどうか、わからないのだということ。
成功というのは、七転び八起きというけれど、7回失敗しても8回目に成功する、ということもあるのであって、その8回目に、自分に才能と運があったとはっきり分かる前に、自分に才能や運がないと判定してしまうことは、まったくのナンセンスであるということ。
だから才能と運とは、つねに目盛りを最大に合わせておいて、自分は天才で、最強の運をもっていると思っていればいい。

まあこれは、僕が自分に言い聞かせていることでもあるのですけどね。

まあこうやって、昨日はのんびり過ごした一日でした。