2011-03-18

「池波正太郎の母親風すきやき」

僕には東京町田に住んでいる叔父がいて、生まれたときからほんとによくしてもらっているのだが、1月につづいてまた神戸で仕事があるというので、途中下車して京都に寄ってくれ、木屋町のそば屋で昼酒をのんだ。

行ったのは「大黒屋」。
創業90年以上になる老舗で、うどんも出すいわゆる「食堂」から、こだわりにこだわった専門店まで、幅広いそば屋のなかにあり、この店はその中間くらいの、ゆるめの雰囲気できちんとおいしいそばを出す、落ち着いて酒をのむにはうってつけのところ。

板わさやらにしん棒煮やらで冷や酒を計6本のみ、最後は「鴨南せいろ」。
甘めの汁にぷりぷりとしたそばは、なかなかうまかった。

叔父はこちらへくる前に、「新横浜まで出るのに時間がかかるかもしれない」といっていたから、いま東京はいろいろ大変だし、今日は地震の話になるかとおもったら、
「いやー、東京はぜんぜん大丈夫よ」
とのこと。
たしかに本震の揺れは大きくびっくりしたし、放射能のことはたしょう心配だが、あとはなんでもないのだそうだ。
地震の話は3分ほどでおわって、あとは前回同様、孫の自慢と仕事の愚痴を、僕が延々と聞きつづけるということとなった。

あまりに普段どおりの、変わらない様子だったので、東京のひとは地震のことで不安な毎日をおくっていると思っていたが、かならずしもみんながみんな、そうでもないのかもしれないなと考えなおした。
たしかに今日で地震から1週間がたち、僕ももう涙も枯れ、テレビで被災地の無残な光景や、被災者の気の毒な様子を見ても、あまり心を動かされることがなくなっている。

いまだに孤立して救援を待っているひとたち、それを捜索する自衛隊や消防隊員のひとたち、原発で必死の消火活動をつづけるひとたちにとっては、危機はまだ、変わらずそこにあるわけなのだが、避難所にいるひとたちは、つらく先のみえない状況のなか、自分の生活を立てなおすための、長い道のりへの第一歩を踏み出しているわけだ。
僕たちもそろそろ、日常の生活へもどり、復興にむけ力をたくわえていくときなのかもしれないよな。



昨日は
「小間切れ肉のすきやき」
をつくってみた。
池波正太郎「そうざい料理帖 巻二」を買い、そこに書いてあったもので、
「いや、鍋に一遍水を張って野菜を入れますね。これが沸騰して柔らかくなった時に、小間切れを全部入れちゃう。それで醤油とお砂糖で甘辛くワーッと煮たのをパッとお膳に出して、皆で食うんです、唐辛子を振って」
と池波正太郎が、母親がつくってくれたすきやきのつくり方を、荻昌弘に語ったもの。

「海軍風肉じゃが」とそっくりなつくり方で、こうなってくると、「すきやき」と「肉じゃが」の境界はどこにあるのか、考えこんでしまわざるを得ないわけだが、僕は「豆腐」がはいっているということをもって、これを「すきやき」と呼ぶことにした。

牛肉は大量の「アク」がでるわけだが、これは見た目的にはよくないが、だいたいアクというのは、「肉汁」が湯に溶け出してそれが固まったもので、ステーキなどを焼くばあいには、いかに肉汁を流出させずに焼くかということが、最大のポイントになったりするくらいのものなのだから、要は「うまみの素」なのだ。
海軍では肉じゃがをつくるとき、
「アクはとらない」
そうなのだが、たしかにそうすると、だしを別にとらなくても、じゅうぶんおいしく出来上がる。

酒は福島の酒「奥の松 吟醸」の冷やを2合。