2011-02-08

池波正太郎シリーズ 鯛チリ鍋

池波正太郎の「そうざい料理帖」には、まだまだうまそうなものが載っているのだが、そのいくつかを頭に思い浮かべながら、スーパーの食品を眺め歩いていたら、見つけたのだ。

天然モノの鯛の半身。
値札は480円となっているが、たまたま昨日は1割引のセールをやっていたので、432円。
けっこうな大きさで、置いてあるのを一つひとつ手にとって、いちばん重いのを選んできたのだけれど、安くないか。
これはいつも行くグルメシティじゃなく、散歩を兼ねて足をのばした、「スーパーマツモト」に行ったらあった。
この鯛で、やってみたいと思っていた池波料理の一つ、鯛チリ鍋をすることにした。

スーパーっていうのは、僕は大好きで、出かけていって、いろいろ眺めていると、こちらが作りたいなと、漠然と思っているものと、スーパーで売られているものとが、ピピピと火花を散らすように、結びつくことがあって、それってやはり、ひとつの出会いなのだと思う。

初めのうちはどうしても、本に書いてある材料をメモ書きにして、それをその通りに買ってみたりしがちなのだけど、そうやってしまうと、こういう楽しい出会いはない。
あまり決め過ぎずに、心をひらいて、スーパーで売ってるものをいろいろと眺めていると、おいでおいでと、自分を買ってくれと、呼ばれるときがあるのだ。
それは自分が漠然と作ろうと思っていたものである場合もあるし、そうでなくて、思ってもみなかった、作り方もよくわからないものであることもあるが、その声に素直にしたがって、悪かったことは僕は一度もない。

スーパーでは一週間のうち半分くらいは、何かの特売をやっていて、そういうときには自然、特売品を買うことになるが、特売をやっていないときのスーパーも、意外に楽しい。
特売品というのは、だいたい毎回似たようなものなわけで、だからそればかりを狙っていると、いつも同じようなものを食べることになってしまうのだが、特売でない日にスーパーに行くと、特売にならないから、特売の日には素通りしてしまうようなものに、目が向くようになる。
そういうものに呼ばれて買ってみると、これがまた、自分の料理の幅を拡げることにつながったりするわけだ。

というわけで、鯛を買ったのだが、これを鯛チリ鍋に入れるのに、どうやって下処理するかということが、つぎに問題になる。
そのまま鍋に入れてしまっても、悪くないとは思うのだが、やはりちょっと、生臭みが出たりするのだよな。

池波正太郎は、これをさっと焼くと書いていて、それにたいして檀一雄は「檀流クッキング」で、かるく塩をふっておくと書いている。
IHのレンジが一口しかない家のマンションでは、魚はフライパンで焼かないといけなくて、池波方式だと、鯛がフライパンにくっついてしまわないか心配だったのだが、

フライパンをよく熱し、かるく油をしいてやってみたら、それでも身の方は、ちょっとくっついてしまったが、なかなかいい具合に焼けた。

野菜は、池波は湯葉と三つ葉だが、僕は豆腐と、冷蔵庫に半分余っていた長ネギ。
鍋というとどうしても、あれこれ野菜を入れたくなってしまうのだが、それを全部買い込んでしまうと、一人だと余らせてしまうのがオチなのだ。
思い切って、材料の品数を少なくするのが、ミニマル料理的一人鍋の最大のポイントだ。

これを池波正太郎のいう「小鍋だて」で、一回に食べる分だけ鍋に入れ、煮えたそばから食べるというようにする。
面倒だからと敬遠していたこのやり方だが、全部をいっしょに煮てしまうより、おいしいことは決まっているし、じっさい魚の鍋は、こういうふうにしないとダメだ。
煮汁はだし昆布と、酒をドボドボと入れた水。

タレは醤油にポッカレモン100をたらした、手製のポン酢。

いやこれは、いうまでもなく、うまかったす。
この鯛のだしのたっぷり出た残り汁で、雑炊をやらないといけないわけだが、それはこれから、昼めしにする予定。

酒は、花酔の熱燗を2合。
この酒は、あまりに男っぽく、常温ではちょっとつらかったのだが、熱燗にするとかなりうまい。
気取ったところや派手なところがまったくない、無骨で一途な男の味。


ちなみに昨日の昼めしは・・・。

アサリが安かったので、これも池波正太郎「そうざい料理帖」にのっていた、「浅蜊のぶっかけ飯」を、またやってみた。

今回だし昆布を使わずにやってみたのだが、やはり昆布は、入れたほうがよかった。
でもうまかったことには、変わりがないっす。