2010-12-07

ピアノ

僕の親はわりと教育熱心で、僕は小さな時から色々習い事をさせられた。ピアノもその一つで、幼稚園の時から小学4年まで習った。バイエルからソナチネをやって、ソナタに入ろうかという頃にやめてしまったのだが、習っている時は練習が嫌で嫌でたまらず、母親が出かけている隙にピアノを開き、楽譜を置いて、練習したふりをするなどということをしょっちゅうしていた。

だいたい僕は、物を上から押し付けられるということが、昔から死ぬほど嫌いで、もちろん大人になって、組織の一員としてやるべきことをやるくらいのことは、多少なりともできるようにはなったが、親の話だと僕が一歳くらいの頃、やっとよちよち歩きが出来るようになって、階段を登っている時、親が手を引こうとすると「自分、自分」と言ってそれを振り払ったのだそうだ。そんな性格だから、おとなしくピアノの練習なぞできるわけがない。引越しがきっかけでやめることになって、せいせいしたのだが、今は知らないが、僕くらいの年代だと、同じような境遇にあった人は多いのじゃないか。

だいたいあんな何十万もするものが、よく売れたものだと思うのだが、ピアノを売るということに対して、「ねこふんじゃった」の果たした役割は、限りなく大きいのではないか。誰が何のために作って、どうやって発表したものかは知らないが、幼稚園や小学校の友達でも、家にピアノがある子は、何は弾けなくともあれだけは弾けるという子は多かった。黒鍵を駆使し、手を交差させて弾くので、楽譜にしたらとんでもなく難しいものになりそうだが、ねこふんじゃったは誰一人として、楽譜など見やしない。誰かが弾いているのを隣で見ているだけで、自然に弾けるようになってしまうのだ。おそらく日本全国津々浦々の、ピアノのある家庭の子を、ねこふんじゃったはそうやって伝染病のように、感染させていっただろう。親としても、せっかく子供のためにピアノを買ったのに、結局何も弾けるようにならなかったでは悲しすぎるところだろうが、ねこふんじゃったのおかげで、少なくとも一曲は、我が子は生き生きと目を輝かせて、いかにも難しそうな立派な曲を弾けるようになっているのである。これはもしやピアノ会社の陰謀なのではないかと思ったりするのだが、実際のところどうなのだろう。

ピアノを習うのは、そういうわけでやめてしまったが、引っ越してもまだピアノは置いてあり、中学に入ってビートルズにハマって、フォークギターを、これは自分から親に頼んで買ってもらい、高校に入ってエレキを買ってバンドを始め、ロックの曲を自分で耳からコピーしたりするようになると、またピアノにも、少し興味が湧いた。それでビートルズの「レット・イット・ビー」「ヘイ・ジュード」、ジョンレノンの「イマジン」を耳でコピーした。ポールやジョンが弾くピアノは、20歳を過ぎてから始めたわけで、ただ右手はコードを押さえ、左手は親指と小指でかわりばんこにベース音を鳴らすだけだから、難しいことは何もないのだ。

この3曲が弾けるというのは、自分がかつてピアノを習っていたということは、あまり関係ないのじゃないかと思うのだが、家にピアノがあったおかげであるということは確かだ。それからは、たまにピアノがある家で酒を飲んだりすると、ここぞというところでこの3曲を弾いて、大いに喝采を浴び、とくに女性陣の得点アップを勝ち取るなどということに役立っていて、ほんとにありがたいことだと思っている今日この頃なのでした。