オーストラリア産の牛バラ肉ブロックが、100グラム98円で売ってた。
これはほんとにお得感があるな。
グルメシティは特売でこうやって牛肉を出すことが多いのがいい。
それでこれを再び、大根といっしょに韓国風に煮込んで鍋にする。
日本では、カレーとかシチューとか、欧風料理を除いて、牛肉のだしは使わない。
やはり牛肉を食べる歴史が短いということだよな。
でも韓国では牛肉のだしはほんとによく使われて、朝のわかめスープとか、前日から牛のくず肉をクツクツ煮込んで準備したりする。
僕は韓国と台湾にホームステイしたことがあるのだけれど、家庭では料理は、だいたい前日から準備していた。
肉のだしは取るのに時間がかかるから、そうしないと間に合わないということだと思うのだ。
日本はかつお節や昆布、煮干だから、そういう手間はいらないのだよな。
日本人はあまり計画性がなく、感覚的に動くとよく言われて、僕などその典型だったりするのだが、それってこういう料理のやり方に、根ざすものなのじゃないかと思ったりする。
根本的には仕事って、食べるためにやるものだからな。
穀物を育てるのは、まあ同じであるとしても、牛を育てて、それを解体して、だしを取って、などということをするのには、計画性がなければやっていけないだろうけれど、朝釣った魚をさばいて食べる、みたいなことは、その日に思い立てばできることだから。
とまあ、僕は料理をしながら、そういういらないことを、いろいろ考えたりするのだけれど、それもまた料理の楽しみだったりする。
食べるというのは人間にとって、何よりまずしなければいけないことだから、けっこうな深い世界があるのだ。
話はますます脱線するが、その料理という、深くて豊かな内容をもった文化に、生涯触れることがない男が多いというのは、なんとももったいないことだと僕は思う。
よく一人暮らしの男が、「自分一人のために料理をするのは虚しい」と言うのを聞くのだが、毎日自分一人のために料理をする自分の経験からいえば、料理は自分一人のために作っても楽しい。
僕のようにつまらないものを作るのでも、けっこうな発見がある。
もちろん一人じゃなく、大勢のために作ったり、さらに大勢でいっしょに作ったりすれば、それはまたもっと楽しいことだと思うけれど、一人でも十分楽しめるだけの懐の深さが、料理という文化にはあるということだと僕は思う。
ということで話はもどって、牛肉の煮込み。
牛肉はけっこうアクが出るから、それをどうするかということが問題なのだけれど、前回同様、今回も下ゆでをすることにした。
1、2分としたのは、あまりゆですぎると、うま味まで抜けてしまうと思ったからだが、そしたら改めて水から煮込み始めてみると、けっこうなアクが出た。
けっきょくこれは取らないといけなかったわけで、これはたぶん、下ゆでなどせず、生の肉をそのまま水から煮始めて、出てきたアクをていねいに取るというのが、手間もかからず、うま味も抜けず、いちばんいいということだな。
次回はそうやってみる。
これは極端にいえば、水を入れずに、酒だけで煮込んでもいいくらいなのだ。
時間があれば、4、5時間煮たら、もっとやわらかくなるのだろう。
牛肉というのは、やわらかくなるのに、けっこう時間がかかるのだな。
塩を入れたらひと煮して火を止め、しばらく置いておく。
そうやって鍋が冷めるとともに、味がしみ込むという企画。
あとは水菜と油揚げを加え、ひと煮したら出来上がり。
牛肉のだしにニンニクと塩だけで味をつけるというのが、まさに韓国風。
シンプルだけど滋味ぶかい、しみじみとした味。
水菜と油揚げを入れるというのは、韓国風というより京都風。
このあいだの中央市場の鍋まつりで、京風おでんを食べたら、大根やちくわといっしょに、水菜と油揚げが入っていたから、このとりあわせは合っているのだ。
煮込んで味がしみた肉や大根にたいして、水菜や油揚げのあっさりした感じが、またたまらない。
3合というのが、家で飲むにはちょうどいいな。