2010-11-17

昼 酒


名古屋の友人が、大阪まで仕事で来るというので、帰りに京都に寄ってくれて、昨日の午後、京都駅で落ち合った。酒好きの男二人が久しぶりに会うとなれば、それはもう、飲むということにしかならないわけで、明るいうちから芋焼酎をガンガン煽って、四方山話に花が咲いたのだ。

友人は僕より少し年上なのだが、若いうちは放蕩のかぎりを尽くしたという奴で、それが祟って家業が傾いたが、今年に入って物事をずいぶん整理する決断をして、それで今は、少しずつ持ち直しているとのことだった。

辛い時期に、奥さんが先に通い始めていた勉強会に、自分もいっしょに通うようになったそうなのだが、その内容というのは、「人間として当たり前のことを学ぶ場」で、神様とかも出てくると言っていたから、宗教の一種なのだな。友人は葬儀関係の仕事をしていて、新興宗教の悪徳なやり口などは嫌というほど見ているから、今回ももしそういうものなら、奥さんを辞めさせなければいけないと思ったのだが、実際見てみるとそう悪いものでもなかったし、勉強会でされる話は、自分の胸をグサグサと突き刺されるようで、今では毎月一回、熱心に通うようになっているらしい。

「自分は今まで、いつも金勘定をして、儲けにならないことはしないというようにしてきたけれど、それではいけない。そうではなく、恩義のある人には、金とは関係なく、きちんと感謝し、礼を尽くす、その先に仕事があるのだ」などと愁傷なことを言うので、いつまで続くことやらと思わなくもなかったが、しかしたしかに、こういう道徳的な考え方というものは、人間にとって必要なものであり、もともと宗教というものは、それを提供するものであったわけで、しかし今の日本で、神道とか仏教とか、昔ながらの宗教が、以前ほど影響力を発揮できなくなっていることを思うと、新興宗教がその任に当たるというのは、仕方がない、というより当然のことなのだろう。

悪徳な新興宗教と、自分のその勉強会との、何が違うのかを尋ねると、友人は、悪いところは教えがいちいち、お金を引っ張るというところへつながっている。色んな理由をつけて、高い壷を買わないといけないような気にさせたりするが、自分の行ってる勉強会は、そういうことが全くない、とのことだった。実際かかる費用は、月に一回の勉強会が、1万円くらいの参加費なのだそうだ。それだけの費用で、これだけ性根が変わるというのなら、たしかに安いものだと言えると思う。

その勉強会では、「数字」についても色々教えてくれるのだそうで、自分の生年月日から計算した数字があって、その数字によって、相性の良い人とか、運の強い日付とか、そういうものがわかるとのこと。「俺はこれからは、自分が雇うなら、相性のいい人だけにして、自分が行動するなら、運の強い日だけにしようと思っている」と言うので、それについては、一つだけアドバイスをしておいた。

僕も昔から、占いがけっこう好きで、べつに人に占ってもらったりはしないのだが、中学の頃には星占いの本を買い込み、少し以前には血液型について自分なりの持論を持ち、最近もものすごく当たると思う占いを、時々携帯サイトで見たりしていて、たしかにその占いと、過去の自分とを重ねあわせると、当たっていると思うところが多いのだが、占いにしたがって、その日がいいからと行動しても、ほとんど全て空振りする。占いが言っている日の前日のほうが良かったりするようなことが多くて、だからこの頃は、自分の行動に関しては、占いに頼らず、自分の胸に手を当てて、自分の感性に従って決めるようにしていると。

宗教はやはり、未来についての予言というものを売り物にする場合が多いわけで、それはそれだけ、未来について、人間が不安に思うということの表れなのだろうが、友人は僕のアドバイスにたいして、多少不服そうにしていたが、僕は自分の未来について、誰かの指示を仰ぐということはあり得ないのだ。だって自分の未来が、それがどんなにいいものでも、もう決まっているものであったとしたら、自分がわざわざこれから生きていく意味などなくなってしまうじゃないか。