2010-10-11

奈 良

今日友人と、奈良へ行ってきた。
奈良と言ってもほんとに広いわけで、こないだ奈良駅近辺をちょこちょこ回ったので、今回は法隆寺。
やはり奈良といえば、まず東大寺、次法隆寺、その次薬師寺に唐招提寺、がベストスリーじゃないのか、やはり。

と言っても僕は奈良について詳しいわけでもなく、とくべつ興味があるというわけでもないのだが、せっかく近くに住んでいるうちに、やはり見るべきものは見ておかないとな。
物事見てみないと、実際のことっていうのは、解らないものだ。
ラーメン屋でも、見かけはボロくて、どう考えてもうまいとは思えない店が、死ぬほどうまいラーメン出すということ多いからな。
ていうかそれは、広島のラーメン屋の場合だけど。
広島のラーメン屋は、うまい店は必ずと言っていいほどボロいのだ。

で奈良なんだが、僕の印象をひとことで言えば、「枯れてる」だな。
前回東大寺その他を見た時も思ったことだが、遺跡的だよな、奈良っていうのは。
という言い方は、京都と比べているわけだけれど、京都の寺や神社へ行って、まず最初に感じたことが、「これは現役なんだ」ということ。
京都の寺や神社は、多くがその宗派の総本山で、今も宗教法人として機能している団体の中枢だったりするわけだ。
だからただ観光名所ということではなく、宗教の臭いがぷんぷんとする所が多い。
とくに西本願寺とか、いちおう世界遺産なのだが、新興宗教かと思うくらいの現役感があるからな。

それに比べると、まあ東大寺や法隆寺の信者がどのくらいいるものなのか、僕は全然知らないが、雰囲気としてはすっかり枯れていて、太古の遺跡を見ているという感じがする。
奈良に都があったのも、100年くらいなわけで、それからすぐ京都へ移ってしまったから、中心からは外れてしまったわけだものな。
しかしもちろん、それが奈良の良さでもあるわけであって、ある意味京都のように、すべてが計算され尽くした美しさ、というものではなく、大地に素朴に塀や建物が建っているという、そういうところに癒されるというところもあるのだと思う。

今日は午前中から法隆寺へ行って、昼過ぎまでかかってひと通り見て、食事をして、それから慈光院へ寄って、帰ってきた。
法隆寺は日本最古の木造建築だからな、どう考えても見ておかなければいけないのだ。
見ると第一印象として、意外に小さい。
これは法隆寺に限らず、古いと言われる建物は、皆そういうところがあると思うのだが、建物も室町時代を超えて、江戸時代とか、もっと下って昭和とか、新しいものになると、全体として重厚な、どっしりとした印象をたたえるようになると思うのだが、古いものは意外に小さく、華奢というか、細工が細かいというか、そういうところがあるのだよな。
時代を下るにしたがって、それが重厚になっていくという、そういう変化があるのだろう。
いかにも重厚好きな日本らしいと思うのだよな。

今書いてること、前にも同じこと書いているとは思うのだが、まあ気にせず書くと、僕は台湾で煮物を食べたとき、って例えばそれが豚の角煮だったりして、かなりシャバシャバした感じなのだ。
日本の場合だったら、もっとこってり煮詰めるのじゃないかと思うところ、そういうことはあまり考えないらしい。
おしるこも、やはりシャバシャバだった。
日本人って、「コク」とか、「まろやか」とか、好きだもんな。
そういうことと、建築がだんだん重厚になっていくこととが、なんとなく重なるように思えたというわけだ。

それから、奈良の仏像、法隆寺も古いものがたくさん置いてあるわけだけれど、ひとことで言うと、よく言えば素朴、悪く言えば下手くそだな。
やはり仏像を作る技術が、朝鮮や中国から導入されて、わりとすぐの頃だったりするのだろうから、まだこなれていないんだな。
全体としてギクシャクしているというか、体の線に勢いがないというか、そんな感じがする。

そんな中で時々例外的に、ほかの仏像とはレベルが格段に違うものがあったりするのだけれど、そういうのは、日本人ではなく、渡来人が作ったのだろうなと思ってしまう。
法隆寺中門にある、金剛力士像とか、ほかの仏像と時代は同じ頃なのに、異常にリアルだったりするのだが、どう考えてもあまりにも、技術力に差がありすぎるからな。

法隆寺の近くはほんとに田舎で、食べ物屋とか、事前にけっこう調べたのだが、めぼしいものがほとんどなくて、ドライブインに毛が生えたようなものばかりなので、とくべつ予約もせず、飛び込みで入った。

柿の葉寿司。
奈良の名物なのだそうだ。

あと茶粥。
おいしいはおいしいが、いかにも素朴だよな。

まあしかし、今日は気候がとても良く、日なたは暑いが、日陰に入ると涼しくて、青空にぽっかりとうかぶ、丸々とした白い雲を眺めながら、田園を散策するというのは、なんとも言えず気持よかった。