2010-10-26

吉田戦車のコラムに、鍋が好きで、一人暮らしの時代は20個以上持っていた、と書いてあるのを見つけたのだが、実は僕も鍋が好きで、引越しですべて捨ててしまったが、以前、中華鍋3、行平鍋2、土鍋4、その他パスタ鍋やら両手鍋やらで、10個以上持っていたことがある。

これだけの鍋を持つというのは、もちろん必要性はまったくないわけで、そうではなく、東急ハンズやプロ用の調理器具を売っている店に行ったりすると、もうその鍋が欲しくて欲しくて仕方ないと、1度や2度は我慢しても、寝ても覚めても鍋のことを考え続け、というのはちょっと大げさだが、けっきょく買ってしまうと、そういうことになってしまうのだ。

男は何をするにも、道具に凝ることが多いと思うが、これもその一つなのだろうと思う。釣りの好きな人は、その延長に包丁に凝ったりする人がいると思うが、僕は包丁にはまったく興味はない。あとキャンプ用品というのも、けっこう凝り方としてはあると思うが、僕はそれにも興味がない。もう鍋だけ。しかも鍋に似ていると思われる、フライパンには興味がない。でも中華鍋は好き。というのを分析すると、ぼくは「煮る」のが好き、ということになるのだと思う。

実際僕は、僕が料理にハマったきっかけである、鶏がらだしを自分で取るということをした時も、トロ火で沸騰させないようにやったから4、5時間かかったのだが、そのあいだ中ずっと、鍋の前に張り付き、中の様子を見ていた。これが面白くて、初めに鶏がらから、水に何かが溶け出すのだろう、水の色が黒っぽくなり、それはアクを取ったりしても、なくならないのだが、それがある時さーっと、まるで潮が引いたみたいに、澄んだ黄金色になるのだ。そうするとそれが、だしが取れました、というサインだったりするわけなのだが、その様子を4、5時間、見続けていても、僕は飽きることがない。

料理をするのでも、最近毎日のように食べてる鍋料理とか、まさにそうなのだが、僕は煮るのが好きで、焼くというのはまあ、好き嫌いとかじゃなく、必要上やるが、蒸し物とか揚げ物、和え物などにはまったく興味が湧かない。

ところが僕が好きなのは、単に煮るということだけではなく、例えば洗濯とかも、好きだったりする。それが、べつに物をきれいにするのが好きということではなく、例えば洗濯機が回っているのを、上から見るのが好きなのだ。衣類がじゃぶじゃぶする水の中で、右往左往している様子。これも気を付けないと、ずっと見続けてしまったりする。

あと小さな頃、僕が大好きだった遊びがあって、それは洗面台に水を張って、そこに色紙を入れていくこと。そうすると色紙の色が水に溶けて、色んな違った色の色紙を入れれば、その色が混ぜ合わさって違った色になり、最後には黒っぽくなってしまうのだが、僕はそれをしょっちゅうやっていた記憶がある。

というようなことを考え合わせるに、僕は水に何かを入れて、ぐつぐつ、じゃぶじゃぶとしながら、そこから何かが水に溶け出していき、混ぜ合わさっていくという、そういうことが好きらしい。なぜ僕がそういうことが好きなのか、自分でもまったく解らないし、他に同じような嗜好の人がいるのかどうかも、聞いたことはない。

でもそういう僕の性質が生かされていると思うところもあって、僕は集団で何かをするという時、やるべきことが上から降ってくるということじゃなく、一人ひとりが自分の思いを語りながら、そしてそれを皆で聞きながら、全体として一つにまとめていくということが、好きなのだ。これは自分が煮るのが好きだということと、同じ好きさであるような気がする。そうやって以前、今でもずっと売れ続けている本を、いくつか作ったこともある。