東海道新幹線、のぞみやひかりが、6、7分間隔で運転し、さらにそのあいだをこだまが走っている。
これだけのスピードで走って、よくぶつからないものだと思うところだが、技術の進歩というものは、これだけのところに来ているというということだ。
しかしそれが、じつは薄氷の上を進むような、際どいものなのではないかという疑いは、猛スピードで過ぎ去っていく外の景色を眺めていると、どうしても拭い去ることができないのであって、そうやって疑う人間のほうが、正常な感覚をもっているのじゃないかと僕は思う。
どうでもいが。
ごはんの上には、お新香と栗、にんじん、それに薄っぺらい松茸も、形ばかり添えられていた。
たしかにどれも、細かく見れば京都らしいのだが、おばんざいというのは、材料がとくべつ変わったものがあるというわけでもなく、京都のふつうの家庭料理という意味だから、全体として、ふつうの幕の内弁当なんかとどう違うのか、主張がむずかしいところがあるだろう。
苦心しているのだろうと思う。
関東は、広い平野があって、そのまわりに、険しい、ゴツゴツとした山が連なっているわけだけれども、関西や山陰の山は、平地の中にあって、こんもりと、お椀を伏せたように、かわいらしく、品がよい。
それでだいたい、その山が、神様として祀られていたりとか、するわけだ。
たしかにああいう、こんもりとした山を見ると、神様として祀りたくなる気持ちは、わかる気もする。