2010-09-22

生物物理学会

仙台へは、東北大学で行われた生物物理学会というのを、見学するために来た。
僕がとてもおもしろいと思っている、郡司ペギオ幸夫研究室の皆さんが、そこで研究発表をされるというので、それを聞きたいと思ったことと、最前線の研究の状況がどうなっているのかということについて、細かいことは解らないにしても、空気くらいは吸ってきたいと思ったからだ。

分野として、僕が興味を持っているのは、分子のひとつひとつがどうなっているのか、ということを、細かく調べていく研究ではなく、「生命とは何か」ということを、全体として説明しようとする、理論なのだが、今回この学会に出席して、印象として強く持ったことは、今は、理論をガンガン推し進めよう、という動きよりは、まずは実験事実を積み重ねよう、ということが、多勢の流れになっている感じがした。
以前にくらべて、技術の進歩もあるのだろう、細胞の運動や、粘菌という生物、鳥やカニなどの群れについての観測など、おもしろい実験結果の発表がいろいろあった。

ひとつ、これは力技だなと思ったのは、大阪大学で研究されているのだけれど、大腸菌にアルコールをふりかけて、そうすると大腸菌はアルコールが苦手だから、初めは分裂の速度がゆっくりになるのだが、そのうち遺伝子を自ら組み替えて、アルコールにたいする耐性を持つようになるものが現れる。
それはそれぞれ、違った遺伝子を組み替えて、アルコールにたいする耐性も、強いのから弱いのまで色々になるわけだけれど、そのそれぞれの大腸菌の遺伝子を、まるごとすべて読み取って、どの遺伝子が組み替えられて、結果としてのアルコールの耐性がこうなるということを、総当りで見ようしている。
ふつうなら何億年もかかる進化のプロセスを、実験室で、数十日で起こそうとしているというわけで、かなりの野心的試みであるということにも感嘆したし、また同時に、そんなに簡単に、大腸菌の遺伝子をすべて読みとれるくらい、遺伝子の解析技術というものが進歩したということにも驚いた。

郡司研究室の発表は、今回は「群れ」についての研究が多かったのだけれど、これがまた、強烈におもしろかった。
郡司さんの「生命壱号」には、あまり書いていない、本が書かれて、その後の研究ということなのだが、これもまた、生命壱号に負けず劣らず、郡司さんの基本的な考え方を、わりと簡単なモデルに落としこむことで、今までは誰も説明できなかった実験結果を、見事に説明できるようになる、というものなのだ。

この1、2年のことなのだそうだが、何千羽という鳥の群れが、全体としてひとつの生き物みたいな動きをしながら、空を飛んでいく様子をカメラで撮影して、それをコンピュータで解析することにより、その一羽一羽が、どっちの方向に、どのくらいのスピードで飛んでいくのかということについて、調べることができるようになったのだ。
ところがその結果から、これまでの鳥の群れについての理論では、まったく説明できない事実があることが判明した。

これまでの理論は、2種類あって、まず第一の、昔からある理論のほうは、鳥のそれぞれが、自分の近くにいるほかの鳥と、方向やスピードを合わせるようにしていると、そういうもの。
並んで飛んでいるわけだから、お互いが一定のスピードで、一定の方向に進むように合わせていくというのは、解るよな。
しかしそれでは、どんどんみなが、ただ同じスピード、同じ方向にしか、飛べないことになってしまうわけなので、方向転換とかができないことになってしまう。
それでは困るので、鳥どうしのスピードは、完全には同じにならないように、ランダムに少しずつ違うと、そういう効果を別に入れるということで、全体として方向転換したり、できるようにしていた。

しかしそれだと、たとえば敵に出会って、群れが二手に分かれてしまったりして、ところが敵が去ると、またひとつの群れにもどる、などという、よく知られていた事実を説明できない。
上の理論では、鳥は自分の近くにいるほかの鳥とだけ、相互作用することになっているので、遠く離れてしまった鳥と、関係を結びようがないからだ。

そこで数年前、新たな理論が提出されて、それは鳥は、自分の近くにいる鳥とだけ、スピードを揃えようとするのではなくて、自分の近くから、6匹の鳥を意識し、それらと近づき、スピードと方向を揃えようとする、という理論だ。
そうすれば、自分の遠くにいる鳥でも、関係を結ぶことができるようになる。

しかし今回の、鳥の群れの映像を、まるごとコンピュータ解析する実験によって、明らかになったことは、まず、じつは鳥の群れというものは、全体としてひとつの、共通する方向とスピードを保っているばかりではなく、群れのなかの、かなり大きないくつかの部分のなかで、全体とは少しずれた、しかし共通する方向とスピードをもっているということなのだ。
人間が歩きながら、手を動かしていれば、手の部分は、人間全体が動いているのと、少し違った方向とスピードで動くことになるということと、まさに同じようなことで、群れは全体としてひとつでありながら、同時に、群れのなかのある部分が、からだの器官のように、独立して動いてもいるのだ。
その部分の大きさは、第一の理論が考えているような、自分の「近く」などというより、はるかに大きな範囲にわたり、また、6、7匹などというより、はるかにたくさんの鳥がふくまれるもので、前の二つの理論では、まったく説明することができない。
さらに、この部分の大きさは、群れが小さいときには小さく、群れが大きくなると、それにしたがって大きくなるという、「スケールフリー」という性質をもち、そのようなことは、どうやって理解したらいいのか、その手がかりすらつかめないという、そういう状況がこの1、2年で、生まれたということなのだ。

それをなんと、郡司さんの研究室では、きれいに説明してしまったということなのだな。

考え方としては、上の、以前のふたつの理論を、組み合わせたようなものなのだ。

鳥は、自分のそばにまだあまり仲間の鳥がいないとき、第2の理論のように、近くから数えて6匹までの鳥を見て、互いに近付き、方向とスピードを揃えようとする。
このときには鳥は、あくまで、ほかの鳥を、ひとつひとつ、「個物」として見ているわけだ。
そうして自分のまわりに、ある程度の数の仲間が集まった、ということになったら、今度は鳥は、自分のまわりを、ひとつの「全体」として見るようになり、お互い近付きすぎたり、離れすぎたりしないように調整し、同じスピードと速度でいっしょに飛ぶようにする。
そしてまた、なんらかの理由で、互いが離れてしまったら、また「個物」のモードにもどるというように、「全体」と「個」を、行ったり来たりするというのだ。
その理論によって、実際にコンピュータでシミュレーションしてみると、「スケールフリー」がきれいに出てきてしまったというわけだ。

なぜ全体と個の両方を考え合わせると、スケールフリーという、群れの大きな部分が、全体とは違った動きをし、しかもその大きさが、群れの大きさに比例するということが出てくるのか、イマイチ想像できないし、それについては、発表者の郡司研究室の人たちも、うまく説明できない、不思議なこととして残っているのだが、基本的な認識のあり方として、「全体」と「個」との両方を見て、それが切り替わりながら、物事を認識していくということは、自分自身のことを振り返っても、納得できることだし、鳥も同じようにしているのだと言われても、違和感はない。
同じ生き物なわけだから。

というように、郡司さんとその研究室の人たちは、相変わらず、目覚しい結果を上げつづけているということを、あらためて強く感じた、今回の生物物理学会でした。