2010-08-27

レッド・ツェッペリン



レッド・ツェッペリンのことについて、昨日中途半端な文をちょこっと書いたら、ツェッペリンのファンだという方からコメントをもらって、僕が「ツェッペリンの音楽が、『天国への階段』をもって完成した」と書いたことについて、それはちょっと違うのじゃないかということだった。
それはたしかにその通り、実はまったく違うのであって、世の中にあたえた音楽的な影響というところからだけみれば、「天国への階段」がひとつの高みであることは間違いないのだけれど、ツェッペリンの音楽が「完成した」ということばを使ってしまうと、ツェッペリンの魅力を、まるごと否定する、ということになってしまうのだな。

ツェッペリンが「とにかくかっこいい」というのが魅力だと、昨日も書いたのだが、このかっこよさのひとつの大きな側面が、「同じ場所にひと時たりとも留まっていない」ということがあるのだ。
これはビートルズにも同じように言えることだと思うけれど、アルバムごとに、基本的にまったく新たな、違った挑戦をしていくのだ。
それが「前向き」とか「進歩」とかいうことばがイメージするものとは、僕はちょっと違うと思うのだが、たとえばデビューのとき、これはあくまで僕の想像であり、事実がたしかにそうであるということではないのだが、リーダーでありギタリストのジミー・ペイジは、ジミ・ヘンドリックスをみて、音楽的には果てしなく新しいものがあるものの、「これじゃ売れないな」と思ったのじゃないかと思うのだ。
ビートルズがデビューするとき、マネージャーのブライアン・エプスタインが、それまでビートルズのメンバーたちが、革ジャンにジーンズ、リーゼントの髪という、そのへんの不良のような、小汚い格好をしていたのをやめさせて、襟なしのスーツにマッシュルームカットという、こざっぱりとした格好をさせたという話があるのだが、昨日の投稿に貼り付けた、ジミ・ヘンドリックスのビデオを見ても、ジミヘンは、やはり小汚い格好をして、態度も横柄な感じだし、さらに昨日のビデオには出ていないが、ジミヘンはあるコンサートで、イギリス国歌をギター一本で演奏するときに、爆撃機が爆弾を投下するときの音を入れ込んだりして、反戦的な主張もしていた。
ジミー・ペイジが、ベーシストのジョン・ポール・ジョーンズに、バンドの結成を持ちかけたとき、「いっしょに金を儲けようぜ」と言ったという有名な話があるのだが、ペイジはジミヘンを、冷徹な目で観察し、そこから売れない要素をすべて取り除き、売れる要素のみを思い切り増幅する、ということを、したのじゃないかと思うのだな。
それで格好も、音楽的にも、小汚い要素をすべてなくし、思想的な主張も一切しない、というスタイルを確立していく。
前向きというよりも、「否定力」とでもいうようなものが、ものすごく強いのじゃないかという気がするのだ。

デビューのときは、その否定力は、他者に向けられたものだったけれど、デビューして以後は、それを自分たちにも向けていく。
2枚目のアルバムは、大ブレークの最中に、ほんとに短い時間で録音したものだったそうで、そのころライブで演奏していた曲をそのまま入れて出したのだが、3枚目のアルバムになると、その路線をまったくやめてしまう。
たぶんそのころには、ツェッペリンのスタイルを真似た他のバンドも続々出現し、これをこのままやっていても、先がないな、と思ったのじゃないかと思う。
それで人気としては絶好調だったにもかかわらず、ハードロックの路線をやめてしまって、ペイジがもともと、ほんとは好きだった、アコースティックギターをふんだんに使った、イギリスの民族音楽のような曲が入ったアルバムを発売する。
この3枚目のアルバム自体は、売り上げはあまり良くなかったのだけれど、しかしけっきょくそうやって、アコースティックギターを使った音楽に取り組んだということが、ハードロックとアコースティックギターを融合させた、それまでにはどこにもなかった、完全に新しいスタイルのロックである、「天国への階段」を生み出すきっかけになったのだと思う。

ツェッペリンはそれ以後も、自分たちがつくり上げ、多くの追随者を生む新しいスタイルを、あるところで切り捨て、まったく新たな、次の挑戦をする、ということを繰り返す。
「天国への階段」の路線も、それが「プログレッシブ・ロック」のような、新しいジャンルすらつくり上げるだけの影響を、世の中に及ぼしたにもかかわらず、もう一枚アルバムを作ったら、惜しげもなくそのスタイルを捨ててしまう。
だからツェッペリンというのは、たくさんのジャンルをつくり出しながら、自分たちはそのどれにも属さない、「レッド・ツェッペリン」でしかない、という、なんともすごいことになっているというわけなのだ。