2010-08-14

晩 酌

僕は自炊というものが、いかに自分の楽しみであり続けられるか、ということが、まあこれは自炊に限らず、物事全般、すべからく何でもそうであるわけだが、続けるうえで大切なことなんじゃないかと思う。
そのためにどうしたらよいかは、あとは自分で考えてください、てなもんなのだが、料理を始めようとする人が、犯しやすいまちがいというものがあって、それについてちょっと書きたいと思うわけだが、これは一人暮らしの男の自炊に限定されることかもしれず、主婦の料理はまたちがうのだろうなと思うのだけれど、「仕事にしない」ということなのだ。

一日仕事をして、夜帰ってくる人間にとって、それからまた作る料理が、仕事であるということになったら、これはよっぽどのことがないと続かない。
いいよ、今日はもう、外で食べよう、ということになるわけだ。
自炊をするということが、自分の楽しみ、さらに踏み込んでいえば、息抜きにならないと、続けるのはむずかしい。
そのためには、仕事というものについての感覚を、すべて捨て去ることが大事だと思うのだよな。

仕事でいちばん大事なことは、「計画」だ。
計画なしに、仕事はない。
なので、自炊をするときに、いっさい計画をしないということは、けっこう大事だと思うのだ。
できる限り、行き当たりばったりにやる。
そのためにいちばん大事なことは、買い物は、その日に食べる分だけ買う、ということなのだ。

スーパーへ行って、おいしそうなものが色々あるからと、あれこれ買い込んでしまうと、買ったときは食べたいものだった材料が、冷蔵庫に入ってしまった瞬間、使わなければならないものに変わる。
「しなければならない」となってしまったら、これは完全に、仕事の世界に入ってしまったということだ。
冷蔵庫にある材料を、ある期間の中で、計画的に、消費していかなければならない。
こんなつらいことは、ないじゃないか。
しかも、昨日は食べたかったものも、今日は食べたくないのだ、だいたい。
だから自炊の極意は、そのために多少時間はかかるのだけれど、毎日買い物に行って、その日に食べるものだけ買う、ということなのじゃないかと思う。

あと同じ意味で、余ってしまった材料を、捨てるのに罪悪感をもたない、ということもある。
日本人はなにかと、食べ物を粗末にしてはいけないという、強迫観念をもちがちなのだ。
しかし一人暮らしで自炊しようと思うと、スーパーには一人で食べるのにちょうどよい量のものは、あまり売っていないから、どうしても余ってしまいがちになる。
余ってしまったものは、もう鮮度も落ちているし、食べたくもなくなっているわけで、それを食べないといけないと思って、自炊がイヤになってしまうなら、そんなものさっぱりと捨ててしまったらいい。
たとえば100円で買ってしまった長ネギが、使わずにいるうち、半分余ってしまったとする。
それを捨てたら50円だ。
外食することを考えれば、どんなに安いか、という話だ。

***

というわけで、というわけでもないんだが、今日は昼に、天下一品のチャーシュー麺大盛り、あまりにすごい量だったので、夜はあっさりと軽いもの。
じゃこ天うまい。
広島へ行って、練り物けっこう好きになったな。

あとこれは、唐辛子じゃなく、ピーマンとじゃこの炊いたん。
前から、唐辛子を炊くみたいに、ピーマンを炊いたらどうなるのだろうと思っていたので、今日やってみた。
やり方はまったく同じで、だしでしばらくピーマンを炊いて、それからじゃこと酒、うすくち醤油を入れて、煮詰める。
いつもどおりくたくたに仕上げてみたが、悪くはないが、やはりピーマンと唐辛子はちがうんだな。
唐辛子の方が味が濃くて、クセが強いのだ。
だからくたくたに炊いても、きちんと味が残るのだが、ピーマンは味が抜けてしまうところがある。
さっとゆがいて、醤油とおかかをかけて食べたほうがうまいかもな、ピーマンは。