マイケル・ポランニーの言う「暗黙の力」について、僕の体験のなかで、それに相当すると思えるものをもう一つ上げてみたい。
僕は以前、あるカレッジで学生の指導をしていたことがあって、ある年、知り合いを招いて毎月、2時間くらいの発表会をやろうと、無謀な計画を立てたことがある。発表を繰り返すうちに、一部の学生だけが選ばれて発表するのはつまらないので、時間の長短はあってもいいから、全員が前に立てるようにしたいということになり、それじゃそのためにはどうしたらよいかと、皆で考えるようになった。
全員が発表に参加する発表会の構成というものは、けっこう複雑なもので、まず一つのテーマにそった全体のストーリーが必要だし、同時に、そのなかで、その頃30人くらいいた学生の一人一人が、どういう役割で、どんな話をするのかが決まらないといけない。毎月発表を繰り返していると、蓄積していたネタも尽きるので、あらかじめ台本があるわけでもなく、一人一人の話を聞きながら、それを踏まえて、全体のストーリーを決めるということにせざるを得なかった。
テーマは、それまで続けてきた発表会の流れから、わりと簡単に決まるのだが、次に、それではそのテーマについて、自分は何を話したいかということについて、全員が話していく。だいたいは甚だ漠然とした話になって、それを皆で質問などもしながら、一人一人の話を聞くのだが、それが終わると、それじゃ発表当日のストーリーをどうしようか、という話になる。誰かの話が、全体のストーリーに使えるような、素晴らしいものであればよいが、そんなわけもなく、皆の断片的な話を組み合わせたりなどしながら、あれこれ考える。どうしたらよいか分からず、しばらく沈黙が続いたりもする。するとだ、毎回かならず、そのうち誰かが、皆が「それはいい」と思えるような、ストーリーのアイディアを思いつくのである。それは一人一人の話を組み合わせてできたものではなく、全く新しい発想にもとづく、それまで誰も思いつかなかったようなものなのだが、それでは、一人一人の話は、そのストーリーのなかのどこに入ったらいいか、確認してみると、一人も漏らさず全員の話が、全く見事に、すっきりと、そのストーリーのなかに収まっていくのである。
これは僕にとって、ほんとに大きな、驚くべき体験で、人間の場というものが、そのように個別を大きく統合していく力をもつものだということを、思い知ることになったわけなのだが、「DNAの冒険」という本はその延長に、基本的に同じやり方をして、できたものなのだ。
(つづく)