2009-12-14

小林秀雄全作品別巻1 「感想(上)」

今日は、昨日からなんだが、腹のあたりが気持ち悪い感じが、ずっとあるんだな。それほど体調が悪いということもないのだが、胃が疲れているのか何か、するみたい。占いにも書いてあったし、今日は酒は飲まないでおこうと思っていたのだが、昼めしを遅く食べたせいか、腹も減らず、晩めしも抜くことにした。かといって、ここに何も書かないのもナンだから、今読んでいて、あと40ページほど残っているが、小林秀雄の「感想」のことを書くことにする。

「感想」は、昭和33年から38年の足掛け5年、小林秀雄が56歳から61歳まで、雑誌「新潮」に連載されたものだ。「ベルグソン」という哲学者について、書いているのだが、小林秀雄、50代後半という、男子の一生で、最も脂ののりきった時代に、とうとう、本丸を攻めることを決意したんだな。

ベルクソンは、小林秀雄が学生時代、深く傾倒した哲学者で、それからも繰り返し、読んではいたのだろう、著作にちょこちょこと、出てきたりはしていたのだが、これまでは、まともに正面から、取り上げられることはなかった。なぜかと言えば、あまりに大きすぎたのだ、ベルグソン。

小林秀雄がこれまで、繰り返し異議を唱えてきた、「近代」という思想の、中核は、「科学」なのだ。ベルグソンは哲学者だが、物理学から生物学、心理学、果ては脳科学に至るまでに精通し、それらを踏まえながらも、それらを超える、ただ物質の機械的な振る舞いとしてではない、「生命とは何か」ということについての理論を、作り上げた人だったらしいんだな。僕もこの「感想」を読んで、初めて知ったのだが。小林秀雄はここに来て、科学には素人、哲学にも素人、まったくの素手の無手勝流で、それに挑むことにしたわけだ。

小林秀雄は、書きながら勉強し、考える人で、これまではそれで、なんとか乗り切ってきているのだが、今回はさすがの秀雄も、ベルグソンの難解な理論に向かい、ゼイゼイと肩で息をしながら、力を振り絞って、一歩一歩、歩いているのが、まざまざと伝わってくる。今まで読んだ、前半部分では、それでもなんとか、前に進んでいるのだが、後半は、アインシュタインの相対性理論や、量子力学までが、引き合いに出されてくるらしい。このあたりで、力尽きてしまったんだな、秀雄。「感想」の連載は、完結しないままに中断され、それから再開されることはなく、小林秀雄は、生涯、そして遺言にも、これを本にしたり、全集に収録したりすることを禁じたのだ。しかし10年ほど前、色々な事情でこれが、全集に収録され、今僕たちが読めるようになっているのだ。

これから小林秀雄が、どういうところで挫折するのか、まあもちろん、たぶん、物理学についての、基本的な素養が足りなかった、ということだとは思うのだが、興味があるな。人の不幸を喜んじゃいけないわけだが。