2009-11-10

晩めし 鶏の水炊き

今日は鶏の水炊き。肉はいつもの水炊き用じゃなくて、普通の手羽元を使ってみた。水炊き用の鶏肉は、「かぶと」という、未だにどこの部位だかわからないやつなのだが、手羽元で十分、というか、手羽元のほうが、うまいな。

いや、うまい理由というのは、たぶん、肉の違いだけのことじゃなく、今日は前までと作り方もちょっと違って、まず初めに霜降り、これは鍋に湯を沸かして火を止めて、そこに肉を入れて、ふりふりして、アクや脂を落とすことだが、をして、水で洗った肉を、アクを取りながら水から煮るのだが、ここに、昆布もいっしょに入れてみた。次に、肉と昆布を煮る時間を、10分ほどにしてみた。前は30分、煮てたからな、肉はパサパサになってしまったのだが、今回はきちんとぷりぷり感も残っている。で、そうやって肉だけ煮たら、酒と塩で薄く味をつけて、野菜を煮て、ポン酢で食べる。

しかしどうして鍋がこんなにうまいのか、今日も食べながら考えたのだ。たぶん一つには、例えばこの水炊きだったら、鍋から器に、入っている材料をちょっとずつ、一通り入れるわけだ。で食べるときも、鶏肉を食べて、シイタケを食べて、白菜を食べて、水菜、今日は春菊じゃなく、水菜を入れたのだが、鶏の水炊きには、春菊より水菜のほうが、全然いいな、それはいいが、を食べて、酒を飲む、という具合に、三角食べの極致、色んな物を次々と、いっしょに食べるわけだ。これが他の料理だったら、アラ煮のアラを食べて、大根を食べて、ほうれん草のおしたしを食べて、くらい止まりだよな。色んな材料を片っ端からいっしょに食べる、というのが、鍋の場合、他の料理にない、特徴であって、しかも、その色んな材料が、いっしょに煮られているわけだから、大事な部分を共有しているというか、お互いが完全に、助け合うんだよな。だから色んな物を口に入れるたびに、うまさが増幅していくわけだ。それがまずは大きいよな。

さらに、その「うまい」という気持ちが、すべて、「鍋」という、一つの料理に向かっていくわけだから、例えば「アラ大根とほうれん草のおしたしと、冷奴と冷やしトマトがうまい」というのと、「鍋がうまい」というのだったら、そりゃ、アラ大根より、ほうれん草のおしたしより、鍋のほうがうまいだろう。ということなのかなと、ちょっと思ってみた。

酒は賀茂鶴、今日はコメントももらったので、燗にしてみた。「お酒はぬるめの、燗がいい~♪」ということで、ぬるめの燗。いやこりゃほんと、たまんないな。