2009-11-17

晩めし みぞれ鍋

いやー、今日はたまらん。ほんとにたまらん。いつも晩めしは、酒を飲むので、あまり酔っ払ってしまうとこの日記が書けなくなるので、途中で一度食べるのを中断して、いつものつまらない晩めしの感想を書いて、また食べる、というようにしているのだが、今日はあんまりうまくて、最後まで食べ切るまで、鍋の前を離れることができなかった。

やったのは「みぞれ鍋」というもので、豚ばら肉と野菜を、昆布だしに酒と塩で薄く味を付けた汁で煮て、鍋の上から大根おろしをドバっとかけ、それをポン酢で食べる、というものなのだが、まあもちろんそれも、なかなか旨かったのではあるが、今日これほど旨かったのは、みぞれ煮だったから、ということではない。水炊きの正しい食い方に、今日ついにたどり着いた、ということなのだな。

これまでは、ポン酢と青ねぎの入った器に、鍋から肉や野菜をいくつか取り、それから鍋を離れて、器から食べるというようにしていたのだが、それは違うんだな。そうじゃなく、要は生そばを食べるのと一緒なのだ、肉でも野菜でも、鍋から箸でつまんだら、それをそのまま離さず、ポン酢には浸すのではなく、ちょんと付けて、そのまま口に運ぶ、ということなのだ。

この食べ方は、生そばに限らず、寿司とか、天ぷらとか、最近はとんかつも、そうやって食べるよな。水炊きも同じなのだ。まあそんなこと、誰でもとっくに知ってることなのかも知れないが、そうやって食べると、熱々なのが冷めずに、またポン酢が付きすぎて塩っぱくなることもない、という、実際的な利点もあるのだが、それだけじゃない、感動があるんだな。

この感動は何なのか、再び、食べながら考えたのだが、公衆の面前でこんなことを言うと、ちょっと人格を疑われそうなのだが、あえて言うと、真っ裸の女が目の前にいるよりも、それがちょっとした肌着でも羽織っていたほうが欲情する、という、日本人独特の美意識みたいなものなんじゃないかと。未完成なものの方が、完成したものより上等だ、というような。

日本人って、たしかにそういうところ、あると思うんだよな。だいたいとんかつだって、元は西洋の料理で、ソースが上からかかって出てきたのを、ソースは自分でかけるようになって、さらにこの頃は、ソースを小皿に入れて、それに付けて食べるようになってたりもする。こないだカキのチゲ鍋をやったのだが、うまかったはうまかったのだが、今日のような感動はなかったのだ。

いやまあ、だからどう、ってわけでもないんだが、ちょっとした食べ方の違いで、ここまで感動するというのは、面白いなとは思うのだ。よくわからないが、もうちょっと考えると、何かありそうな感じもしたりして。でももう感動も醒めたから、そんなものなさそうな気もするが。あとまた日本酒が、あまりにも旨いんだよな、鍋にはな。