2009-09-20

小林秀雄全作品 15モオツァルト、16人間の進歩について

このところで小林秀雄、2冊を読んでしまっていて、忙しくて感想をアップする暇がなかったこともあるが、対談が多いから、あっという間に読み終わってしまうのだ。というのは小林秀雄、昭和21年に「モオツァルト」、23年に「罪と罰についてⅡ」、戦争が終わってから3年で、ほとんどこれしか書いていないんだな。小林秀雄は元々、文芸時評という、その時々の文芸作品を批評するということを、文芸春秋に連載したのが、批評家としてのスタートだったわけだが、時が経つにつれて、それがだんだん苦しそうになっていったのは見受けられたが、もうとうとう、文芸時評は完全に辞めてしまったらしい。その理由として、

僕が文芸時評を中止しているのは、批評の形式による文学作品の確立という考えに、ここ数年来取りつかれているが為である。出来るか出来ないかやるところまでやってみねばならぬ。二兎は追えぬ。
と書いているが、一方その同じ時期に、恩師辰野隆との対談で、「秀雄君、君は近頃小説は読まんようだね。時評も書かないな、ちっとも」という問いかけに対して、

ハア、もうごめんです。文士が口をひらけば小説小説と言っている様な文壇は世界中にない。まるでフーテン病院だね。僕も長い間入院していたもんですよ。今に小説という病気は日本文士を食い殺すでしょうよ。小説のなかに人生の目的や理想を認め、これをはっきり信仰して小説を書いている文士が果たして何人いるだろう。今日の小説の大流行には、健全な精神的動機がかけている様に思われてなりません。彼らが抱いているものは、何かしら一種絶望的な力だ。まあそんな深刻な問題はともかくとして、芸術の世界も宏大なものだ。画でも音楽でも論じて、一つ健康でも取り戻してはどうかね。
と言っていて、まあその両方が理由なのだろう、それでモーツアルトという音楽家についての批評、そして小林秀雄にとって汲んでも尽きぬ興味の対象である、ドストエフスキーについての批評に、それぞれ1年以上の時間をかけるという、ある意味贅沢な時間の使い方をして、取り組んでいるわけだ。その間、収入のほうはどうしていたのかと思うが、小林秀雄は創元社という出版社に役員として迎え入れられ、出版方針について助言したりするようになり、また小林秀雄の作品も、上の「モオツァルト」にしても「罪と罰についてⅡ」にしても、その会社が出す雑誌に掲載されたりしているから、ある意味パトロンが付いて、自分のやりたいことを自由にできる環境が整った、ということなのかも知れないな。

実際このモーツアルトやドストエフスキーについての仕事が、小林秀雄が批評家として名声を勝ち得るために大きなことであり、また小林秀雄は一人で近代批評というものを日本に確立させた、と言われる所以なのだろうけど、文学のことはまったく知らず、モーツアルトもほとんど聞いたことがない、ド素人の僕なんかにとっては、これらは、小林秀雄の人生という意味では大変興味があるのだが、作品の内容としては、あまり面白いと思えないのだよな。小林秀雄としては、批評という形式の中で、モーツアルトやドストエフスキーという人間を、生き生きと浮き彫りにしたい、描きたい、ということなのだろうけれど、それらを読んでいて浮き彫りになっていくのは、圧倒的に小林秀雄であって、モーツアルトやドストエフスキーに出会えた、という感じは、僕にはあまりしない。素人から見て面白いのはやはり、最初期のケンカ批評と、あとこれからさらに15年くらい後なんだな、僕はすでに文庫で読んでいるのだが、「考えるヒント」の中の、「言語」とか「歴史」とか、批評家としてというより、思想家としての小林秀雄なんだよな。そういう素人目から見ると、小林秀雄の言う「批評の形式による文学作品の確立」というのはちょっと無理筋で、果たしえぬ夢だった、というところなんじゃないかという気がする。異様に生意気だが。

ちなみに僕が昔唯一ハマった作家である太宰治について、小林秀雄はほんとに全然読んでいなかったみたいで、太宰が自殺して、それで初めて関心を持って読んでみたら、大変面白かった、惜しい才能をなくした、と書いている。笑えるな、なんか。

それから全作品16には、物理学者湯川秀樹との、けっこう長い対談が載っていて、ちょっと興味を引かれるところもなくはないのだが、基本的には、よくある理系人間と文系人間のチグハグな会話、というところに留まっている。

あと、いくつかある対談の中では、作家坂口安吾とのものがいちばん面白く、あんたは文学の人なんだから、モーツアルトなんかやらず、あくまで文学をやれ、と執拗にからむ坂口に対して、小林秀雄はけっこう本音で抗言していて、時々弱気になる自分の心中も吐露したりして、しかも酒を飲みながらなものだから、最後はハチャメチャで訳がわからなくなり、けっこう笑える。