2009-06-01

小林秀雄全作品7 作家の顔

文芸批評家として脂が乗ってきた小林秀雄、仕事盛りに突入、という感じで、この全作品第7巻は、昭和11年、小林秀雄34歳の時の、雑誌などに掲載された単発の文章を集めたもので、第8巻は同じ年、アランというフランスの哲学者の翻訳を小林秀雄がしたものが、丸々一冊分、収められていて、その他にさらにこの年、ドストエフスキーについて連載したものが、先の刊にまとめて入るらしい。
これまでは大体、1年に1巻くらいのペースだったから、大幅増量、書きまくっているということだよな。
まあ結婚もしたし、頑張らなくちゃね。

書いてる内容は、ほとんどが、小説についての批評なのだが、僕は小林秀雄には興味があるが、小説にはそれほど興味がないので、その部分はそれなりに面白い、という感じで読むのだけど、僕が小林秀雄についてほんとに面白いと思うのは、小説ではなく、詩とか、演劇とか、映画とか、そういうものについて書いたもの。
だいたい小林秀雄は若いころ、ランボーとかフランスの詩人の作品ばかりを読んでいたそうだから、文芸批評家となって当然その主戦場である小説について書かないと商売にならないということがあるのだろうけど、本当に好きなのはむしろそちらで、小説についてはむしろ文芸批評家になってから、勉強を始めたのじゃないかという感じがするのだよな。

この全作品7にも、「現代詩について」というのと、「演劇について」、「『罪と罰』を見る」(これは「罪と罰」という映画が、当時公開されたらしい)というのがあって、どれもほんとに面白い。
何が面白いかというと、まあこれはなかなか、一口では説明できないのだが、あえて説明してみると、言葉というものが一般に考えられているように、意味を持った単語と文法によってできていて、物事を記述する作用を持つものだ、というだけのものでなく、言葉には同時に独特の発音とか、イントネーションとか、そういうものがあり、そういうものが人に何かを伝える力というものが、実は大変大きい、音楽というものはそれを純化して表現するものだけれど、詩も元々は言葉のそういう側面を活用する芸術なのだ、ということを、小林秀雄がはっきりとわかっている、というところなのだよな。
まあこんなに短く言っても、何のことやらわからないと思うが、いや長く言ってもやはりわからんと思うが、僕は、このことって今の時代、ほんとに忘れられがちなことだと思うから、そこから目を離さない小林秀雄という人が、ほんとに面白いと思うのだ。

演劇についても、単にセリフで表現された内容が観客に伝えられるということではなく、劇場全体に、俳優と観客が協同することによって醸し出される空気みたいなものが重要だ、みたいなことを書いているし、あと映画については大変うがった見方だと思うが、映画のリアリズムというものが人を動かすのは、ただ本当らしいものが再現されているというだけではなく、「一片のフィルムの裡に、自然観察のあらゆる機械的な手段が集中されて存するからだ」と言う。
ピストルの弾がコップに到達し、コップを歪め、割り破る様を映した高速度写真というものが一つの典型であって、映画の心理描写だ、思想だ、などということは二次的なものであり、そういう、実際には見ることができない現実の有様というものを、映画が見せるというところに、映画の存在価値はあると言う。
今のハリウッドの特撮映画の全盛を見るにつけ、それを映画のほんとに初期に見破る小林秀雄は、大したものだなと思う。

あと僕がこの小林秀雄の全集を読みながら、一つ密かに楽しみにしていることがあって、それは太宰治について、小林秀雄がどう評価するのか、ということだ。
ていうか僕が日本の文学でほんとに読み込んだものは、太宰治だけで、と言ってももう中学校の頃だが、知ってるのはそれしかない、ということなのだけど。
それで、それがこの全作品7で、初めて出てきた。
けちょんけちょんに言うんだろうなと予想はしていたが、予想以上に鋭い切れ味。
太宰治はこの年6月に「晩年」を出しているが、それについては何もなく、10月に「新潮」に発表した「創生記」という作品に対する批評。

太宰治「創生記」(「新潮」)、「太宰イツマデモ病人ノ感覚ダケニ興ジテ、高邁(こうまい)ノ精神ワスレテイナイカ」云々の書出しを読んで、ああ、こりゃもういかんと思って後は読まなかった。題名「創生記」などというのも恐らく何の意味もないのである。彼を今襲っているものは言語表現上の危機である。尤も今日の新人達はまずどいつもこいつも鈍感で、言語表現上の危機などには面接しようにも才能が不足している。せいぜいリアリズムの混乱などといっているのだ。その点で、この作者の感受性は珍重すべきものがある。だが、この作者を襲っているものはまさしく言語表現上の危機であり、その他の危機ではないということは、当人もよく自覚すべきである。大丈夫、君はちっとも心配することはないよ、と僕は、彼にあったら肩でもたたくだろう。静養を要するとはその意味だ。先ずしばらく文学なぞに遠ざかり、デカルトでも熟読する事をすすめる。それは必度(きっと)君のためになるだろう。人間の精神なんて人間が考えるほど深刻なものではないという事が、無駄な感受性を働かさずにわかるようになるだろう。そうなったら君は必度いいものを書き始めるだろう。

とのこと。
ばっさりだ。

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