2008-12-16

 『その数学が戦略を決める』(イアン・エアーズ著)


友人に薦められた本。
「絶対計算」と著者がよぶ新しい数学が、今やさまざまな物事の戦略を決めるのに役立っているという。
これまではその品質を決めるのに樽に詰めてから何年も待たなければいけなかったボルドーのワインについて、ある経済学者が数十年におよぶ膨大な気象データと実際のワインの値段とを分析することにより、今年とれたぶどうが10年後に熟成されたワインになったときの値段がいくらになるのかを、ぶどうを収穫した時点で予測する数式を編みだした。
実際それはその後何年にもおよぶ検証の結果、それまで専門家が数ヵ月後に試飲することにより予測していた値段とくらべて、はるかに正確だったという。

今同じような例、野球のスカウトについてどの選手が将来一流選手になるのか、医療についてある患者がある症状を訴えたとき、どのような病気である可能性が高いのか、貧困層の教育政策についてどのような教育プログラムがもっとも効果が上がるのか、映画の興行についてどのような脚本がもっとも収益を上げるのか、などなどについて絶対計算なるものによって分析し予測することが行われており、それは実際大きな成果を上げつつあるのだという。

日本人にとって身近な例としては、コンビニが客の購入履歴から売れ筋や死に筋の商品を予測したり、Amazon.co.jp が顧客の購入履歴から、その顧客が次にどのような商品を買う可能性が高いかを予測し示すようになっていることなどがそれに当たるのだそうだ。

「絶対計算」というと新しい数学のようだが、数学自体は「回帰分析」とよばれる昔から知られていた手法なのだそうで、それが近年脚光を浴びるようになったのは、インターネットとコンピュータの発達により膨大なデータを集め、それを短時間で分析することができるようになったからなのだという。

まあ確かにそういうことはあるのだろう。
インターネットはこの10数年で驚くほどの進歩をとげた。
そういう技術の進歩により初めて可能となる、新しいやり方が登場してくるのは当然だろう。
今後は著者が主張するとおり、この絶対計算なるものを、何かを判断しようとするときの基本的なツールとして、誰もが使っていかなければならないということになるのだろう。

しかしそれは認めるとしても、この本の書き方、かなり挑発的である。
いや挑発的というよりさらにそれを越え、この本は「科学者のアジテーション」と言ってもいいものなのだと思う。

まず「絶対計算」という名前の付け方、原語が何か知らないが、ちょっと宗教とか疑似科学が好みそうなセンスである。
かなり強引にそちらにもっていこうという意図が感じられる。
さらに本の中でも、これまでの古い専門家たちが固定観念や自分の立場を守る必要から絶対計算を認めないさまをこっぴどくこき下ろしている。
自分たちの新しいやり方がいかに正しく、古い専門家たちの考えがいかに間違っているのかということを、これでもかとばかりに主張するのである。

まあしかしこの主張の強さ、アメリカ人にとっては普通なのだろうなと思う。
何しろ他国を証拠もないのに「テロリストをかくまっている」といって攻撃し、崩壊させてしまうような人たちである。
テレビでも他社の製品を攻撃するCMが普通に流されるというし。

科学における手法や考え方の転換は、科学行政や科学産業から科学者たちに流れこむ、金の流れが変わることでもある。
遺伝子の二重らせん構造が発見され、分子生物学が誕生してから、生物学にまつわる膨大な金は、それまでの古い博物学的な生物学ではなく、新しい分子生物学に流れるようになった。
さらに分子生物学は近年「ヒトゲノムプロジェクト」なるものをひねり出し、またここに巨額の資金が投入される仕掛けを作っている。

「絶対計算」にまつわる科学者たちも、ここに資金が流れこむ新たな仕掛けを画策しているのだと想像する。
アメリカ人は理屈が通ればそれを認めるのは早いから、今後この分野はアメリカで急速に進歩していくのだろう。
そして日本人はたぶん、「何だよそのきつい言い方」とか僕みたいに言っているうちに、取り残されてしまうということになりそうな気がする。

まあしかしどんなに有用な数学があったとしても、それを盲目的に信じてしまうことがどれだけ危険であるかは、これまで何度も経験してきているのではないだろうか。
何年前だろう、ノーベル賞をとった経済学者を何人も集めたアメリカのヘッジファンドが破綻したことがあった。
ソ連の崩壊が引き金を引いたと記憶するが、そのような大きな前例のない変化にたいしては、数学は無力である。
しかしそういう大きな変化は、世の中ではけっこうちょくちょく起こるものなのだ。
また今回のアメリカ発の金融恐慌も、サブプライムローンというもの、金融工学の粋をあつめて開発されたに違いないが、問題などない素晴らしいものだと喧伝され、信じられていたに違いない。

数学がわけの分からない、ブラックボックスになってしまった瞬間、人間は失敗への坂道を転げ落ちていくのだと思う。
数学と同時に、人間がきちんと直観的、感覚的な理解や判断をしていくことはたぶんとても大切なことであり、その大切さはこの本の中にも書かれてはいるのだが、まだまだ強調されても良いはずなのだと思う。
でもあまりそれを書いちゃうと、この数学が売れなくなっちゃうからね。