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2011-08-25

計量スプーンを捨てた時、料理の世界が見えてくる

料理を作るのに料理の本を見るってのは、まあもちろん、したかったらしたらいいんだが、料理の本を見るのが疲れたなとか、面倒くさいなと思ったら、見なくたっていいもんだと思う。むしろ料理は、料理の本を見なくなってからスタートするもんだと言ってもいいんじゃないか。時々料理の本を見ないと、料理が全く作れないという人がいるが、あれはかわいそうに、料理の本にやられちまって、虜にされてしまったんだな。料理の本は、時には害悪とすら呼べるものを撒き散らすものだ。

おれが一番気に食わないのは、あの計量スプーンだ。計量スプーンは即座に捨てたほうが身のためだ。料理の本から離れられなくなるのは、調味料の量が覚えられないからだろう。大さじだの小さじだの、1だの1/2だの。そこにさらにcc表記やらグラム表記やらが混ざってくると、何が何だか訳がわからなくなってくる。覚えられないもんは、自分の身に入っていかないわけだから、ブラックボックスになってしまう。ブラックボックスを解明するために、料理の本が必要になってしまうんだよな。

実際料理の本の通りに作ると、けっこうおいしく出来たりする。そりゃそうだ、料理の本はその通りに作ればおいしく出来るよう、制作者が注意に注意を払って、頑張っているわけだ。ところがそれを見て作っている方は、料理の作り方を理解しているのではなく、ただ訳もわからず料理の本に従っているだけだから、一回おいしく出来てしまうと、もう料理の本なしには失敗してしまうような気がしてくる。そうなるともうこれは完全に、料理の本の依存症だ。

料理の本に書いてあるレシピの中でも、覚えると便利なものはあって、例えば麺のゆで時間。素麺は2分。それから水の量。これは時間とも密接に関係するんだが、魚を煮付ける時に、10分で煮詰まる水の量は1カップ。無洗米150ccに、水は250cc。こういうものは、簡単に覚えられることだから、しっかり覚えて活用する。だから時計と計量カップはあった方がいい。

でも麺のゆで時間や煮付けの水の量と、調味料の量というのは、根本的に違うものなのだ。

ゆで時間や水の量は、加減しなきゃいけない量が一つだから、要は多いか少ないかだけで味が決まってくる。ゆで時間が長すぎれば、麺が柔らかくなりすぎるから、短くすればいい。水の量が多すぎれば、なかなか煮詰まらないから、少なくすればいい。一つを加減すれば、それで味を決めることができる。だから話が簡単で、覚えるのもラクなのだ。

ところが調味料は、それに比べると圧倒的に複雑なのだ。

和食に限定して考えると、最低でも酒、みりん、砂糖、しょうゆ、塩、この5つのものの分量を加減しなくちゃいけない。さらにここに、味噌やらニンニクやらショウガやら、ゴマ油や唐辛子や、なんてものも加わってきたりする。しかもこれらのものの効果は、それぞれ独立ではなく、いくかのものはお互いに関係しあうことにより、効果を変化させる。

さらにだ。調味料の量は、すべての料理に共通な、黄金の割合というものがあるわけではない。素麺のゆで時間は、いつでも2分だが、調味料は、料理の方式や、使う材料、さらにはその人の好みなどにより、適切な量がそれぞれ違う。猛烈に複雑なのだ。

そこまで複雑なものを、頭で覚えられるわけがない。これは絶対に間違いない。感覚で覚えてしまわないといけないのだ。

車の運転をするなんていうことと、似たところがあると思う。

車を運転するには、最低でもハンドル、アクセル、ブレーキを操作しなくちゃいけない。これだけでもけっこう大変だと思うが、さらに方向指示器やら、マニュアル車ならクラッチとシフトレバーまで操作する。しかもそれを、道路の交通事情に応じて、適宜変えていかないといけないわけだ。

そんなこと、考えていたら、絶対できないだろう。こういう時にはこうして、こういう場合にはこうして、などと箇条書きにでもしてしまったら、その瞬間に車は運転できなくなるに違いない。でも誰でもが、難なく車の運転ができるというのは、車の操作の仕方について、一切考えることなく、感覚で理解しているからだ。人間は本当に複雑なものについては、感覚を使ってだけ処理することができるのだ。

それはもちろん、何も車の運転に限ったものではない。ただ歩くとか、言葉をしゃべるということだって同じことだ。歩くのだって、簡単そうに見えるが、具体的に分析してみると、ものすごく複雑なことをやってるに違いない。実際ロボットは、まだなかなか、人間みたいに歩くことはできないじゃないか。

調味料も同じなのだ。いくつもの調味料を、料理の種類や材料に応じて変化させることは、分析し、箇条書きにしてしまったら、かえってできなくなってしまう。そうでなく、感覚で覚えないといけない。

そのために一番必要なのは、計量スプーンを捨てることだ。

計量スプーンを捨てたところから、料理の本当の、豊かな世界が見えてくる。調味料には一つ一つ意味がある。それらは互いに依存し合いながら、一つの世界を織り成している。調味料の世界のひだの一つ一つは、感覚を通してだけ、見えてくるものなのだ。


と熱く語ってしまったところで、最近作ったもの。



あさりの雑炊。スーパーで安く売ってる中国産のあさりのむき身を、細長く切った大根と一緒に雑炊に炊きこむ。

貝ってのは、だしの風味が淡いから、ほんとに淡く味を付けなきゃいけないのだ。昆布だしを取るが、酒とみりん、うす口しょうゆを、ジョボっという感じで、ほんとにちょっぴり。あとは塩で味を整える。

今回は味加減に非常に成功し、大変うまかった。



豚肉の雑炊。本当は玉ねぎを一緒に炊き込みたかったんだが、なかったから大根を入れ、昆布だしに塩コショウで味を付けてみた。

やはりちょっと、豚の臭みが残ったな。豚肉には香味野菜が入らないと厳しいことがわかった。



ソーミンチャンプルー。

ほんとはニラが一番うまいが、まだちょっと高いので、見切り品だった長ねぎを入れた。長ねぎもかなりいける。

フライパンにツナ缶を油ごと入れ、続いて長ねぎ。さっと炒めたら、ゆでて水で洗い、よく水を切った素麺を投入。塩コショウだけで味を付ける。

さすが沖縄の料理、こんなに簡単に、どこにでもある材料で作るのに、東南アジアの味がする。



鶏のうどんすき。これは大変簡単に作れるのに、非常にうまい。

野菜は好きなものを入れたらいいが、長ねぎとか玉ねぎ、しいたけなど、香味野菜は必ず何か、入れたらいいと思う。昆布だしに、酒をたっぷりと入れ、みりんとうす口しょうゆで味を付ける。